カット繋ぎ進化

2013-03-25 10:34:29 | 見る
沢山見ているわけではないし
その方面の勉強をしたわけでもありません。

ですから以下はすごく的外れかもしれません。
記憶違いもあるかなあ、不安ではあります。


最近見た映画『最初の人間』(2011 仏ほか)で
印象に残るシーンがラストにありました。

年老いてきつつある母と、久しぶりに訪ねてきた息子とが
部屋で食事をしています。
植民地アルジェリアに残るという母と安全を気遣う息子。

カメラを引くと、さっきまでいた息子の姿がありません。
それどころか食器も片付いています。
母はひとり。

立ちあがって窓の外を見下ろす姿はアルジェリアに残る
ことの安堵感と一人で生きる寂しさが交錯しています。

ここは通常のカット繋ぎで①息子がいた②母が一人でいる
・・としても通じますが、この映画の不思議な画面づくりが
母の心理を現して秀逸でした。

ふと気付くと、ひとり。


カメラが途切れずに続いて撮影しているのに
映っているものは時間が跳んでいる、というのは
時折見受ける手法です。

テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』にありました。

それより随分前、木下恵介も使っていましたね。
この監督、けっこう意欲的な手法を使っておられます。

家の中でカメラが360度パンします。
当時はそれだけでも珍しかったのに、ぐるりとカメラが
戻ってくると、あきらかに時間が跳んでいるのです。

時間の経過、状況の変化を印象的に表現します。
撮る方は大変でしょうが。
カメラ、セット、照明・・


時間の経過は通常カットつなぎで現せます。

(家で叱られた少年、カットが変わると、岡に佇む)という
具合です。

場面が同じだと間繋ぎを入れます。
さっきまで喧嘩していたのに、すぐに落ち着いていたら
見ているほうは、何のことやら、混乱します。

そこでツナギをいれ
(喧嘩をしている){部屋に下がる照明器具}(落ち着いてる)

・・あまり上手な譬えではありませんね。
映画監督は私には無理なようです。

ともあれ間に何か挟むと、繋がります。
見ている側が理解できるのです。

上記の照明器具のカットはほんの少し長めに映します。
そうすると落ち着くまでに時間があったと伝わります。


上記が伝統的な手法ですが、それだけでは物足りず
あえてすぐにつなぐと言う手法もあります。

見る側は瞬間「あれ?」と思いますので逆に注意を
喚起できるのです。
見る側も(大人)でなければなりませんね。

『最高の離婚』で4人が深刻にモメるシーンがあり
うろたえ気味に綾野さんが「鍋でもしようよ」

何でこんなときにと3人は反応しますが
すぐ次のカットで、もう鍋をつついています。

こう繋ぐことで、状況を消化不良に棚上げした4人
ということがうまく伝わりました。

そうしておいて、ラストの山場に移るのですね。