「新日曜美術館」で浜田知明さんを特集していました。
何年か前、廿日市で個展があり、感銘をうけた
作家です。
銅版画や彫刻が多い方だと思います。
生まれは1917年で私の父と同年になります。
戦争体験、人間性が破壊された状況を描いた作品は
父が語ったそれと同じで
「ああ、この作家は信じられるな」と
思いました。
一兵卒の見た戦場を描いて鮮明なイメージを伝えます。
いたって普通の人間が、戦場ではどれほど残虐になれるか、
人間というものは本来そんな動物なのだ、と
思わざるを得ません。
貧弱な肉体しか持ち合わせない動物のくせに地上を凌駕して
いるのですから、よほどのワルなのです。
日本兵だけとは言いませんが、外国兵もやってるから、と
いうことで、その残虐性を誤魔化すことは人として
あってはならないことです。
乱暴狼藉の片棒を担ぐに等しい事です。
日本軍の行為を言うと「自虐史観」などと口走る人も
同罪です。
人間がいかに酷いか、思いだすだけでも耐えがたいことを
辛い思いで証言する人に、ツバをすることだから。
戦後、日本軍はひどいこともした、という証言が
続いていたときには、ひっそりと黙っておいて
ほとぼりが冷めてそろりと出てきた「愛国者」
私は信じられませんね。
戦後ずっと孤軍奮闘して「決してそんなことはなかった」と
言っておられたらその人は別です。
が、あまりお見受けしないように思います。
反戦派がまったくの「でっち上げ」を言っていたとしたら
いくら戦後左翼が強い時代であれ「それは違う」と
言う声が高まっていったはずです。
○
父は広島に原爆がおちる数日前に出征し、原爆からは
逃れられたものの、朝鮮で終戦を迎え、そのまま
シベリアに連れていかれました。
敵に囲まれ、玉砕覚悟で突撃しようと言う父を
中隊長が留めて武装解除に応じたそうです。
シベリアでの体験から、生涯「アカ」が大嫌いで
左翼思想もかなり距離をおいていましたね。
「綺麗ごとを言っても、末端の現実はどうだ!」と。
そんな左翼ではない、自虐史観に縁がない父でも
戦場のひどさは、ときおり重い口から漏らしました。
○
私が大学生の時、バイト先の電車運転手に
「中国でいっぱい殺してやった、オモロかった」と
辺り憚からず口走る男がいました。
戦後30年近くたってもそんな空気がありましたね。
彼が本当に何人も殺したかどうか、それは確認できません。
ウソかもしれません。
しかし、戦場がそうであったからこそ「威張る」言動を
できたことは想像できますね。
彼も一種の被害者かもしれません。
○
浜田知明さんの作品について述べる時間がなくなりました。
ただ暗いだけのものではありません。
絵は小さくとも、ゴヤのような迫力があります。
戦後を代表する芸術家の一人ですね。
何年か前、廿日市で個展があり、感銘をうけた
作家です。
銅版画や彫刻が多い方だと思います。
生まれは1917年で私の父と同年になります。
戦争体験、人間性が破壊された状況を描いた作品は
父が語ったそれと同じで
「ああ、この作家は信じられるな」と
思いました。
一兵卒の見た戦場を描いて鮮明なイメージを伝えます。
いたって普通の人間が、戦場ではどれほど残虐になれるか、
人間というものは本来そんな動物なのだ、と
思わざるを得ません。
貧弱な肉体しか持ち合わせない動物のくせに地上を凌駕して
いるのですから、よほどのワルなのです。
日本兵だけとは言いませんが、外国兵もやってるから、と
いうことで、その残虐性を誤魔化すことは人として
あってはならないことです。
乱暴狼藉の片棒を担ぐに等しい事です。
日本軍の行為を言うと「自虐史観」などと口走る人も
同罪です。
人間がいかに酷いか、思いだすだけでも耐えがたいことを
辛い思いで証言する人に、ツバをすることだから。
戦後、日本軍はひどいこともした、という証言が
続いていたときには、ひっそりと黙っておいて
ほとぼりが冷めてそろりと出てきた「愛国者」
私は信じられませんね。
戦後ずっと孤軍奮闘して「決してそんなことはなかった」と
言っておられたらその人は別です。
が、あまりお見受けしないように思います。
反戦派がまったくの「でっち上げ」を言っていたとしたら
いくら戦後左翼が強い時代であれ「それは違う」と
言う声が高まっていったはずです。
○
父は広島に原爆がおちる数日前に出征し、原爆からは
逃れられたものの、朝鮮で終戦を迎え、そのまま
シベリアに連れていかれました。
敵に囲まれ、玉砕覚悟で突撃しようと言う父を
中隊長が留めて武装解除に応じたそうです。
シベリアでの体験から、生涯「アカ」が大嫌いで
左翼思想もかなり距離をおいていましたね。
「綺麗ごとを言っても、末端の現実はどうだ!」と。
そんな左翼ではない、自虐史観に縁がない父でも
戦場のひどさは、ときおり重い口から漏らしました。
○
私が大学生の時、バイト先の電車運転手に
「中国でいっぱい殺してやった、オモロかった」と
辺り憚からず口走る男がいました。
戦後30年近くたってもそんな空気がありましたね。
彼が本当に何人も殺したかどうか、それは確認できません。
ウソかもしれません。
しかし、戦場がそうであったからこそ「威張る」言動を
できたことは想像できますね。
彼も一種の被害者かもしれません。
○
浜田知明さんの作品について述べる時間がなくなりました。
ただ暗いだけのものではありません。
絵は小さくとも、ゴヤのような迫力があります。
戦後を代表する芸術家の一人ですね。