体罰ということ

2013-08-11 16:49:26 | 塾あれこれ
映画で笠智衆が「こら、そげんこつはいかん」と
悪ガキの頭をこつんとする景色はアリ
ですよね。

それは体罰ではあれ、許されたのは何故?

私も山口塾に入ったころはひどかった。
「殴らないと生徒がバカにして授業にならない」
こういう恐怖感があり、周りを真似して
体罰をしていました。

しかし絶対に手を出す方が「痛い」
こんなことを言うと殴られた方から叱られますが。


笠智衆ならOKで私なら駄目なのは何故?

人間の力量の違いでしょう。
よく言われることですが成人同士なら憚れる暴力を
大人が子供に向かってする、ということは間違いです。

けれども同時に「体罰反対」と声を挙げる人にも
ホンネとしては違和感を覚えます。

現在の教師たちのやりづらさが分かっているのか?
ブチ切れそうになる、のも現実です。

現場の先生方はそこを切れないで頑張っておられる、
これはスゴイことですよ。

まるで神様かと思えるほどです。
文科省は教師に神様を求めるしね。

「役人の世界で、演じざるをえない神様」
切れそうになると思いませんか?


社会の変化もあります。

子供は「一個の人間」であり、それを尊重しなければ
なりません。
昔は「発展途上の存在」扱いでしたからね。

人間として1:1の関係

ところが子供は「子どもだから」と「甘やかされる」世界に
逃げ込むことができます。

経験の少ない人間ですから、すべて大人と同等を求めるのは
非合理です。

けれども私には「子供はフリー」とは思えない。
人間として厳しく扱われる場面もあるだろうと考えます。


山口塾で中学部を始めたとき「中学では体罰を止めよう」と
強く指示しました。

同時に「本当に頭に来たら手をだしてもよい」とも。
人間として怒るべき時に怒れないでは困ります。

事故や問題になったとき、のために責任者がいるのです。

「それはいけない」と瞬時にキレ、もし手が出てしまえば
職を辞す覚悟を持っていればよろしい。

幸いそういう局面にはぶつからずに済みました。

学校と違い、塾には強制力として「辞めてもらう」という
力があります。
山口塾はそこがよかった。

「だから体罰を止めても大丈夫」と小学部に言いましたが
乗る先生はごく少数でしたね。
(力量に自信がないから、かな?)

それが出来ない学校は、就職先としては大変でしょう。  
精神がキツイ人も・・


近頃の若者はコンビニで冷蔵庫に横たわったり
どうにも理解しづらい人間が出てきました。

今まで日本が秀でていた人材の質が維持できてません。

文科省のエライさんがやってきた80年代以降の教育
何十年かかってあんな若者を造り出したのだろう?
上層の役人たちはその間の給料を返上してはどうかね。

話は変わるけれど、TPP交渉も同じです。 
失敗したら給与返上してね。


学校には一定以上の期待はできません。
家庭での教育が大切。
役人にまかせられませんよね。

お父さんを遊び半分にでも蹴る子供がいます。
そんな家庭教育をしてはいけませんねえ。