34年3ヶ月後の偶然 蒸機最終日のD51241

2010-03-25 | 国鉄時代
3月20日頃、まだ発売になったばかりの出版物2つを紹介致します。


国鉄時代 Vol.21「昭和50年」(ネコ・パブリッシング)と D51 日本蒸気機関車の象徴(誠文堂新光社)です。

偶然全く同時に発売された2冊には偶然にも似て居すぎる写真が掲載されています。


その1

昭和50年12月24日 夕張線夕張駅にて6788列車牽引をひかえた日本の蒸機最終列車牽引機D51241です。

上が井門義博、下が奥井伴彦です。

奥井伴彦は昭和44年、慶應義塾普通部に入ったときから3年間同クラス、塾高でも2年時に同級になりました。(この時豊田章男現トヨタ自動車社長も同じA組でした)
奥井さんは現在では「中国蒸機撮影の相棒」ですが日本蒸機の現役時代、撮影で同行したのは1973年3月に肥薩線人吉駅ホームで「ばったり」会ってその日一勝地&坂本を一緒に歩いて以来2年9ヶ月ぶりだったのです。

同行した仲間の写真が同時に違う出版物に登場してしまうとは・・・・「鉄」は元来「一人でするモノ」ですが、「皆が撮る写真は撮りたくない」=「へそ曲がり」井門は一人で撮って居る場面が多かっただけに今回のは笑ってしまう「事件」です。


その2

昭和50年12月24日 夕張線川端~滝ノ上 9799列車 D51241

上が奥井伴彦、下が井門義博です。

日本最後の「山へ上る蒸機列車」「蒸機の下り列車」です。
この2つの写真は立ち位置の違い、撮影者の意図の違いがはっきり判って面白いですね。

悲しいかな井門の写真はじつはカラーネガです。
ポジで撮るのが通常の私がネガでカラーを撮っている理由は思い出せません。
最終の夕張線が貴重になったり使ってもらう可能性があることは当時想像もしていませんでした。
むしろ、撮影よりもお別れをしに行ってきた、飲みに行ってきた感覚でした、だから3人とか5人とかでの撮影行動だった様に思います。
 
(ただし、私も奥井も「動画屋」ですから「8ミリ」だけは真剣に撮りました)
この2枚の立ち位置も動画屋としての狙いが完全に優先されて居ることが判ります。
奥井は真っ正面からの動画を最終力行列車に求めた。
井門はカーブを切ってカントで傾いたD51の「最後の夕陽」ギラリを狙っています。

井門も白黒も撮って居るはずなのですがネガが行方不明です。
バケペン2台、レンズは90mm、150mm、300mmが当時の私の標準装備ですから白黒を入れたボディーに300mmを付けて撮ってない筈は絶対ありません。

また、西尾写真への憧れの強い井門は、この頃発売された廉価な4×5「ウィスタ45N」をも持って行っています。(大荷物を見た同行者の一人長島良成に(全財産を担いで歩くから)「乞食の引っ越し」と言われた事をおぼえています)

ギラリは4×5で狙っていると見るのが普通でしょうが、この写真もあまり見た事がありません・・・

まったく「管理が悪い」のには困ったモノです。



さて、Mookや雑誌、写真集で次々と昔の写真が掘り起こされている昨今ですが、この2冊は特に初めて見る貴重な写真や動画(国鉄時代)に溢れ「読み物」としても大変中身が濃いです。
是非忘れずに書棚に入れて置くべき2冊であると思います。

と、言うわけでモデルスIMONへLet's go!




河口湖へ行ってきました

2010-03-24 | ノンジャンル
この春休み、家族が際どく揃うのは3月17日(水)の一晩だけでした。
(仕方が無く?)平日だというのに河口湖へ行ってきました。


宿泊先は最重要です。我が家ではインターネット評価で選びます。
大人一泊 \22,000/1人という高価にもかかわらずこれだけの評価を貰っている河口湖第一ホテル「KUKUNA」に決めました。

パパは会社で会議終了後、医者に寄って帰宅、子供は部活や学校から帰宅、集合して上野原の自動車教習所(合宿免許)で教習中(完了まで居なかったので補習中)の丈多郎を拾って河口湖へ向かう作戦です。


談合坂サービスエリアでソフトクリームを頂きます。
此処のソフトクリームの機械の運搬・メンテや一部材料の運搬は(株)井門サービスが行っています。
1000円高速の恩恵を受ける立場と言えるのですが渋滞が酷いせいか余り恩恵はないです。


17:36 ホテルに到着、富士山が綺麗です。
丈多郎が居ません・・・・電車の乗り継ぎが上手く行かず2時間遅れの「路上教習」となり、一人で電車で上野原→河口湖と追ってくることになりました。


ホテル入り口と「眺望逆さ冨士」バス停はほぼ同一地点です。


新館は本館最上階5Fから連絡通路を通り、最下層5階~最上階9階(大浴場)此処は8階です。


18:19 部屋のベランダからの眺めです。ベランダには部屋毎に露天風呂が付いています。


18:43 大浴場へ出発!夕食は19:30からにしました。この時間帯、大浴場には誰も居ません。
寝間着としての浴衣(室内だけの限定運用)の他にこの「屋内着」が有ります。


19:44 夕食のメニューです。これだけでもお腹一杯ですがバイキングも取り放題です。


19:44 例えばこのカニです。ありゃりゃりゃもうチャーハンとスパゲッティですかい。やはりお子様です。


19:52 「七品 酒菜の盛り合わせ」が出てきました。


20:11 「お刺身 甲州の生物」


20:32 「凌ぎ 小袖の一品」でしょうか・・・・


20:46 これが何なのか判りません。「春風の気紛れ」でしょうか・・・・


20:55 ホテルの送迎バスに拾われて丈多郎ようやく到着!懐石は出続けています。


20:58 バイキングから「ほうとう」を取ってきました。固形燃料付きです。


20:59 これでもか!とステーキが出てきました。

何故かこの後写真が途絶えます。私も満腹にノックアウトされたようです。


21:50 ゲームセンターで「オニ」の演技を見せる丈多郎。


22:23 部屋付きの露天風呂に湯を張っています。満天の星空です。



7:08 一応逆さ冨士です。これから一階上の大浴場へ参ります。


8:04 朝食風景


8:31 家族を残して会社に向かいます。送迎バスで河口湖駅へ。


8:33 河口湖対岸から見た河口湖第一ホテル「KUKUNA」(画面中央;新館と旧館の関係もよく判ります)
「KUKUNA」とは古いハワイの言葉で「日だまり」を意味するようです。


8:36 河口湖駅に到着しました。


京王5000系のようです。


電車の前で撮って貰いました。「皆様この電車の前で写ります」とホテルの人。


富士急行の前身「富士山麓電気鉄道」が発注した「モハ1型電車」トップナンバー1929年(昭和4年)製のモハ1だそうです。


京王5000系が狭軌になるとこんな感じです。これはかなり魅力的!


実際に乗るのはこの編成(2連)です。2連×1または2連×2で運転されています。


9:13発の【フジサン特急】はこの車両を使うのでしょうか。2ドア化した5000系?


8:40 下り4連の電車が到着しました。


8:41 この電車は8:43発大月行きです。一部転換一部クロスシートの座席配置です。


8:45 富士急ハイランドで殆どのお客様が降りてしまいました。


8:46 特等席も今まで全部塞がっていたのですが全て空きました。


8:47 富士吉田へ進入、行き止まり式駅で方向転換します。


8:54 下吉田で行き違いです。


8:59 時折40‰の勾配票が有ります。枕木はPCと木が混ざり、架線柱も3本に1本はコンクリ化してあります。


8:59 額面広告は極めて少なく、広告ではないこういうモノが貼り出されています。


9:03 三つ峠でまた行き違いです。115系が乗り入れて来ているんですね。


9:04 乗客は未成年と年配者が多いです。
最近「車から車椅子へ」などと言われ、年配者が鉄道離れしているという話もありますが、こうして乗ってみるとそんな事は感じられません。相変わらず鉄道は交通弱者の乗り物です。


9:18 都留市辺りでしょうか。再び交換です。


9:34 大月に接近です。


9:35 恥ずかしながらこのトーマス電車、形式が判りません・・・


9:35 パノラマエクスプレスアルプスの【フジサン特急】はちゃんと居るのですね。
大月駅では「富士急到着!」のJR業務放送が響いていました。


9:38 大月9:38発【スーパーあずさ6号】に乗り継ぎます。もう発車しています。


9:58 中央自動車道と圏央道のジャンクション付近を走行中です。


10:37 【成田エクスプレス21号】と並走で新宿駅に進入しました。

今回1泊の「お泊まり」家族旅行は時間の短さの割には充実していたかなと思います。

家族は誰が嫌ったのか絶叫マシンの宝庫(富士急ハイランド)を嫌って冨士サファリパークに行き、満喫してきたようです。




長男卒業式

2010-03-23 | ノンジャンル
私の子供は全部男で4人です。

先頭を切って長男丈多郎が学習院高等科を卒業しました。
4月から同大学法学部法律学科へ進みます。


地学部の仲間と。


息子が入場した後はパパママで記念写真です。

12年間、丈多郎よりママの方が頑張った学校生活だったと総括致します。

(まだ先は長い!・・・学習院にお世話になって12年ですが、順調に行けばあと13年お世話になります)


初等科、中等科、高等科とお世話になり、5年前から4人全員を通わせるようになった学習院ですが、真面目な教育への取り組みに頭が下がります。

「今」言われる学校現場に於ける問題点を感じないで済む学校です。
衰退を心配される「鉄研」も学習院では意気盛んです。


謝恩会にも行ってきました。

主管の先生方の挨拶を聞くと、個性的で勢いのある先生方が揃って居る事が感じられました。


謝恩会には母親は殆ど全員が参加、父親が15~20%程度参加しています。
私が高校(塾高)卒業の時、謝恩会なんて有ったかな?
高校卒業の50年初春は、1~3月で合計40日ほど北海道の線路端に居たと思います。

恩師と言う言葉を聞くと私の恩師って誰だろうな?と色々考えさせられます。

私には学校の先生の印象は薄いです。
(中学合格以来、趣味の事しか頭になかったですから)

いさみやの小河勇社長、斎藤晃先生(慶應では福沢先生以外を先生とは言わないのですが・・・・かつて塾高で煙草取締手段が卑劣と言うことで教師が停学になった時「××君」と貼り出されたように教師は~~君と表示します・・・・数日おきに数名が停学になる生徒の側は「呼び捨て」で表示されます)
荻原道信さんも先生、
ジュエリーの取引先にもあらゆる意味で「先生だ」と思う人がいます。
よく考えたら周りじゅう先生ばかりです。


学校についても「勉強になる」点においては、在学中より親としての勉強の方がずっと勉強らしい様な気がしています。

ですから今日の卒業式、親としての我々夫婦の「高校卒業その1」という思いが強いです。



版画展に行ってきました

2010-03-21 | ノンジャンル

緑園都市駅
藤倉菊太郎と村樫四郎の鉄道版画展を見に相鉄ギャラリーに行ってきました。


会場の様子です。ゆったりした空間で落ち着いて鑑賞できます。
(写真撮影は禁止です。主催者に許可をもらって撮影いたしました)



日曜日という事もあり色々な人がこの会場に来られました。

かつて村樫さん、私と一緒に中国に行った村松功さん(40年頃からの「ガイドブック」はじめ、最近でも色々活躍して居ます。充分オヤジである我々世代から見てもオヤジであるのに「デジタル」技術でも「遊び」でも遥か上を行く私の尊敬する人です)や大谷真一さんにばったり会ってしまいました。


藤倉さんの版画にも版画の「元」が存在します。この版画のこの人物は「自分である」事を指し示している「連隊長」こと大谷真一さんです。

藤倉さんの版画に銅川、樺南、芭石の中国蒸機が登場しますが、いずれも大谷さんと一緒でした。
(会場では原風景としての中国のビデオも流れており松葉杖の大谷さんも登場します)
(村樫さんが近年インドダージリンを訪問した時も大谷さんと一緒でした)

版画展は3月28日()に藤倉さん村樫さんお二人の思い出トークのイベントがあり最終日は4月4日()です。

http://www.sotetsu.co.jp/service/gallery/news/201003.html





C5530 [旭] 国内組立

2010-03-20 | 鉄道模型
3月19日 C5530 [旭] 国内組み立てバージョンが発売されました。


昭和49年7月 宗谷本線321レ 音威子府~筬島

C55 30は川崎車輌製、新製配置は小樽築港説と旭川説があります。昭和43年10月に室蘭から旭川に転属して以来、宗谷本線唯一の流改機として人気を集め、更に「北のC55」の中で最後まで残った有名機です。
保存予定でしたが、この30番と間違えてC5550が保存されました。
一説には保存予定で確保となったC5550にはC5530のプレートが付けられていたとも聞きます。
この有名機C5530が解体されてしまった事件の真相は現在でも謎です。



車歴;
C5530             川崎重工兵庫工場=1637           
1936-03-00 製造→ 新製配置;旭川
1941-03-31 現在;小樽築港
1945-04-01 現在;小樽築港
1945-09-30 現在;小樽築港
1949-03-01 現在;小樽築港
1951-02-07 鷹取工場基本型化改造
1954-10-01 現在;小樽築港
1955-06-00 旭川転属
1958-10-00 室蘭転属
1961-04-01 現在;室蘭
1964-04-01 現在;室蘭
1965-04-01 現在;室蘭
1968-10-03 旭川転属
1975-02-01 廃車;旭川


この模型について;
IMONのC55は非乗工社のIMON製品として乗工社が健在だった1999年秋頃から打ち合わせが始まり、2年以上の歳月を経て2002年1月に発売された製品です。
(この件に関してはC5552の時にも解説したかもしれません)

発売された2002年1月時点では下請けさんを含めた乗工社スタッフがIMONスタッフとなって居りました。その中の組屋さんから「我々が組めばもっと良いモノが出来る」という訴えが出ました。 「では、やってみますか?」という売り言葉に買い言葉で始まったのが今回発売の国内組立のC55です。

2003年1月から発売開始した16番C55では、元乗工社メンバーの発案でヘッドライトと煙室前面を一体ロストで作る方法によって前照灯のリード線処理を改良しましたので、再び制作する事になった1/87国内組立用の煙室前面も1/80同様に「一体ロストを作る」という方法に改良致しました。
もともとコンプレッサーや給水ポンプなど、目立つ主要な部品34種類は乗工社と同一の日本製部品を供給するスタイルでしたので、韓国製、日本製パーツ混合を日本で組み立てるという製品になっています。

36:1というギヤ比、FH1717Sモーターは同一ですが、動輪タイヤ部外側側面を実物同様に黒塗装するなどの仕上げは最近のIMON製品に準じています。