2023/8/16放送
「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
昨日のこの時間は「平和をつくる者の幸い」をともに考えました。今日は、キリストが教えた「山上の説教」の最初、「心の貧しい者は幸いです」ということについて一緒に考えてみましょう。今日の聖書をお読みします。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」 新約聖書 マタイの福音書5章3節
不思議なことばですよねえ。「心が豊かな者、心が満ちている者は幸いです」と言うのなら分かりやすいのですが、キリストは「心の貧しい者は幸いです」と語りました。それは心の卑しい人や心の狭い人のことではありません。神様の前に自分の霊的な貧しさを知っている人、すなわち自分の心の貧しさを正直に認め、心砕かれた者のことを指しています。
神様が忌み嫌うもののリストが聖書の中にあるのですが、その一番最初が「高ぶる目」すなわち傲慢さや高慢さです。自分の傲慢さを認めることは勇気が必要です。しかしそれを認めてへりくだる者にこそ神様は本当の幸いを与えてくださるのです。
ここに登場する「幸い」には、聖書本来のことばのギリシャ語では「マカリオイ」ということばが使われ、英語にするとHappyやLuckyではなく、Be Blessed ということばです。それは、神様に祝福されていることを表す「幸い」です。
私たちが考える幸いは、問題がなく、状況が整い、うまく事が運ぶ、というような幸いのことですが、聖書が語る本当の幸いは、どんな苦難や痛み、問題や悲しみがあろうとも神様が祝福してくださっている、という「幸い」、どんな状況にも揺るがされることがない真実な「幸い」なのです。
神様の前に自分の心の貧しさや傲慢さ、すなわち自分の罪を認め、悔い改めて、神様の憐れみの中に自分の身を置く者に神様は天国へと導く祝福を与えてくださいます。「天の御国はその人たちのものだからです」と語られているとおりです。天の御国がその人のものとされること、それは何という祝福でしょうか。
どのような困難や危険が迫ろうとも、神様からの天の祝福を私たちが自分のものとするとき、それは何ものにも変えることができない幸い、祝福なのです。
( PBA制作「世の光」 2023.8.16でのお話しより )
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