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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■福音の四季 : 私の助けはどこからくるのだろうか

2008年02月06日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。福岡県北九州市にお住まいの松田さんからのお便り。

 --- その後、お体の方はいかがですか? 御無理のありませんようにお祈りしています。雑誌に載った詩をおくります。

 若葉が目にしみる ベンチに座ってじっと眺める
 いきいきいと脈打つように 
   葉っぱから体の中に いのちは入っていく
 栄養分を心ゆくばかり吸い込んで
  太陽の光 いっばいとりいれて 輝いている
 葉っぱを手本にできたらいいなあ        -----

 松田さん、素敵な詩をありがとうございます。春の詩(うた)ですね。

 福音の四季の今日のメッセージの題は、「私の助けはどこからくるのだろうか」 そして聖書は、旧約聖書 詩篇121篇1節です。お読みしましょう。
 「私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(1節、2節)

 家内の父は90歳で召されました。その二、三年前から寝たきりになっていましたが、「たとえあなたが先に召されるようなことがあっても神様は私を支えてくださるから心配はないよ」と母に言っていたそうです。何もかも母の世話になっていても、「私の助けは、天地を造られた主から来る。」と信じきっていたのです。万物の創造主、独り子さえも私たちに与えてくださったお方は、これに添えて万物をお与えくださいました。その神様です。どんな時でも、まどろむことなく、眠ることもなく、この私を、あなたを、神の最善をもって守ってくださる、と信じきれたらどんなにか幸いでしょう。

 聖書のことば 
  
 「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」 旧約聖書 詩篇121篇1節、2節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2008.2.7放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





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■もし神を求めるなら

2008年02月05日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 えー、パウロがアテネに行った時のことが新約聖書の使徒の働き17章に記されています。まあアテネと言えば、パルテノン神殿が建ち、当時の文化の担い手でした。世界中から学問を追求する人々が集まり、ま、哲学の都、当時のインテリ集団はここに住み、ま、学問の聖地とされ、世界に誇る文化都市と言われた町です。そのアテネにパウロが行きました。すると議論好きの哲学者たちはパウロをアレオパゴスの丘に連れていったんです。

 パウロはこのアレオパゴスの丘で何を語ったのでしょう。それは何と単純なメッセージを語ったんですねえ。ちょうど丁寧にも「知られない神に」と刻まれた祭壇があったものですから、ここからパウロはアテネの人たちにまだ知られていない聖書の神様を語り始めたんです(22節以降)。彼はこう語りました。

 「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」(24節)

 なあんと大胆なですね発言でしょう。想像してみてください。かなたにはあの豪華なパルテノン神殿が見えるんです。しかしあの豪華な豪華な神殿も神様を入れることはできない、と語ったんですねえ。あなたがたは手で神々を作るけれど聖書の神はあなたがたを生きた存在として創造されたのです、と語ったんです。神様は、すべての人に、いのちと息と万物をお与えになった方なのです、ですから神を探り求めることでもあるなら、神を見いだすことができるのです、と語ったんです。

 ま、当時も今も彼らの世界観は偶然というものに支配されていました。すべてが偶然。そこには意味も目的もありません。人間の意志は無視された世界観でした。そこには神々が支配する世界かあっても、人間存在の意味や目的は見いだすことができませんでした。

 しかし人は自分の価値を認めてもらいたいし、意味のある人生を誰もが願っていますよね。聖書は、人間が神を作るのではなく、神が人を造られたことから出発しているんです。そこには、人が生かされる意味と目的が備えられるということなんですねえ。パウロは、「もし探り求めることでもあるなら、神様を見いだす」(27節)と語り、続けて「確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」(27節)と語りました。

 イエス・キリストは、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイの福音書7章7節 )と言われました。どうでしょう。あなたもこの神様を求めて歩んでいきませんか?

 ( PBA制作「世の光」2008.2.5放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会への問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■痛みを担いながら

2008年02月04日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
 
 えー、聖書の中にこういうことばがあります。
主は、」 ---- ってこれはキリストのことですけれども ---- 「ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」 ヘブル人への手紙の 2章(18節)に書かれてあることばなんですけどね。

 なかなか相手が痛い・苦しいというのを分かってあげるというのは難しいですね。えー、自分が全然経験したこともないのに「分かる、分かる」と言ってみてもなかなか分かってあげられない。かえって何か分かったようなことを言って励ましたつもりが相手をもっと苦しめてしまうということがあったりしますよねえ。

 えー、私たちの教会でお医者さんなんですけれども、そのお医者さんの娘さん、その娘さんもお医者さんなんですけれども、それがどういう何という名前の病気か分からないんですけど、体中に痛みがずうっと走るというその痛みは尋常(じんじょう)でない。それこそ風が通っても、水道の水が流れる音を聞いてもというぐらいですね、本当に痛い。それを見ているその両親。両親ともお医者さんなのに何もできない。いろんなお医者さん仲間から、これを使ってみたら?、あれを使ってみたら?と薬をもらってもそれも効かない。その痛みを替わってあげることもできなくって見ているのは本当に辛いということをおっしゃっておられましたけれども、本当にそうだろうなあというふうに思いますねえ。

 あのう、フロイドという精神分析の学者がいますよねえ。で、この方は三十年間も上顎の癌で悩まされたそうですねえ。そして15回も手術をしたそうなんですけれども、でもこの人は痛み止めを自分には使わなかったんだそうですねえ。それは患者の痛みを理解しながら自分も痛みに耐えながらというふうにして患者に接していたということを聞いて、そして最後にいよいよ末期症状の時にそのモルヒネを打ってもらって、そして初めて痛みから解放されて次の日に召されていったということなんですけどねえ。相手のことを理解してあげようというので痛みを耐えて。

 私たちの本当に痛みや苦しみを分かってくださるお方は、その痛みや苦しみを経験されたお方イエス・キリスト。そのお方がいらっしゃるからというその方を本当に知ることが出来たら幸いだなあと思いますねえ。

 ( PBA制作「世の光」2008.2.4放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神のわざがこの人に現われるため

2008年02月02日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。

 滋賀県彦根市にお住まいの宇野さんからは新約聖書ヨハネの福音書9章1節から3節までをいただきました。お読みしましょう。

 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

 宇野さんは言われます。

 ---- 18年前、25歳の時、私は失明しました。母はそれを嘆きつつ死んで行きました。その後、この聖書のことばを読んだ時に、私自身、大変励まされ、将来伝道者として召された時には、多くの方々にこのみことばを伝えていきたいと思います。 ----

 宇野さんばかりではありません。因果応報の考え方を持っている社会の中で、どんなに多くの障碍を持つ人々や家族にとって、どんなにか励ましになることばでありましょうか。

 イエス様は神であられたのに、この世に人となって来られました。イエス様は神の真理のことばを語り、また神のわざを行いました。奇跡です。

 世の中の人は盲目で生まれたり生まれつき障碍があったりすると、何か親が罪を犯したからか?、本人のせいか?、と考えます。しかしイエス様は「ノー」でした。「いいえ、この人の上に神のわざが現われるためです」と言われるのです。人は悔い改め救い主を信じる時にその人が救われて新しい人となるという奇跡がなされます。神の栄光が現わされるのです。

 宇野さんの心に残る聖書のことば

 「神のわざがこの人に現われるためです。
 ヨハネの福音書9章の3節のことばです。

 それではまた聴いてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.2.2放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
(自由ケ丘キリスト教会内)

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■天を創造された方

2008年02月01日 | Weblog

 お元気ですか? 世の光の時間です。岩井基雄(いわい・もとお)です。

 夜空に浮かぶ満天の星を眺めたことがあるでしょうか? 私は徳島の田舎で育ちました。夜になると町が眠ったように真っ暗になるので外に出て寝転がり、こぼれ落ちそうな満天の星をよく眺めました。中学生の時だったでしょうか、一つの星のように見えるものが一つの銀河なのだということが分かった時、その広がりの大きさに胸が高なったのを今でも覚えています。

 聖書の最初には、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記 1章1節)と書いてあります。神様は初めから存在され、その神様によってすべてのものが造られたというのです。この天にはもちろん大宇宙が含まれます。いや、その宇宙が存在できる「空間」もそして「初めに」ということのできる「時間」さえも神様が造られたのです。

 宇宙物理学者たちは、宇宙の始まりは「ビッグパン」という爆発による、という仮説を立てていますが、その爆発のための物質やエネルギーがどこから来たのか、そして時間がどこから来てどう始まったのか、答えを持っていません。

 でも聖書にはその答えがあるのです。すべての存在を愛によって造られた神様が最初からいらっしゃることを聖書は語っているからです。

 私たちは自分の小ささに気がつくことがあります。時には自分の無力さに涙することさえあるでしょう。しかし聖書は私たちに、目を高くあげるようにと導くのです。

 「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇 19章1節)とも聖書は語っています。天を見上げる時、大空を仰ぐ時、この大宇宙の造り主である神様があなたを見つめていてくださる、そのことを心に留めることができるのです。

 あなたは愛されている、見つめられているのだと、この宇宙は、天は、あなたに語りかけているのです。あなたも空を見上げてみませんか? 悩む時、悲しむ時に、すべてを創造された神様のことを心に留めてみませんか? 神様はあなたを愛していらっしゃるのです。
 
  (PBA制作「世の光」2008.2.01放送でのお話しより )

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