♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■互いに成長を助け合おう

2007年07月19日 | Weblog

 世の光の時間です。いかかお過ごしでしょうか。福井 誠です。
 
 今日も皆さんと御一緒に聖書を開いてまいりましょう。
 今日は、ローマ人への手紙14章19 節から。
 「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

 わが家に長女が生まれた時のこと、私たちは自分たちの生活が長女を中心にいろいろと変わっていくのを感じました。長女が成長し動き回る頃になると、とにかく子どもの目の届く所に口に入る小さなものや鋏など危険なものを置かないようにしました。いろいろと物品管理に気をつけるようになったのです。そして長女が更に成長して自らそういう危険なものに気をつけるようになると、随分私たちの行動も楽になりました。

 ここでパウロが語っていることは、教会で新しいクリスチャンが起こされたならば、そういう人たちに必要な配慮があるということです。

 まだクリスチャンになったばかりの人がいる時には、つまずきになるようなものを置かない配慮が必要です。そういう人たちを保護し、励まし、成長を促すような環境を整えてあげるように注意しなくてはならないのです。

 そのようにして新しいクリスチャンが成長し、そういうつまずきに自ら注意できるようになると、周りのクリスチャンも随分と楽に行動できるようになっていきます。

 もちろん新しいクリスチャンをいつまでも赤ちゃん扱いする訳にもいきません。歩き始めたこどもがつまずくというのは当たり前ですが、大人になってもしょっちゅうつまずいているようでは何かがおかしいのです。

 ですから新しいメンバーも適切な配慮で成長に導かれて教会に集う皆が平和に役立つこととお互いの霊的成長に役立つことを追い求められるようになっていくことが大切です。平和に役立つこと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求める一人として、今週も家庭の中で教会で更には職場においても歩ませていただきましょう。

 ( PBA制作「世の光」2007.07.19放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10
         自由ケ丘キリスト教会内
 電話052-762-2196 へ

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■福音の四季 : 絶えず祈りなさい

2007年07月18日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は、まず皆様からのお便り紹介です。北九州市門司区にお住まいの松田さんからいただきました。

 「大平洋放送のニュースレターで、先生が体調を崩しておられる、とありました。大丈夫ですか? 早くお元気になってくださいませ。」

 松田先生、もう私は大丈夫。ありがとうございました。

 さあ今日の福音の四季のメッセージです。新約聖書テサロニケ人への手紙第一 5章17節。
 「絶えず祈りなさい。

 この聖書のことばを読むたびに思い起こす二人の人のことがあります。一人は、今は亡き、私の良き先輩牧師、安藤仲一先生のことです。

 先生が茨城県真壁町の天幕集会へ行かれた時のことです。雨の中での集会でしたが、満員の聴衆で、素晴らしい集まりでした。教会に帰ってきて休ませてもらい、朝までぐっすり。ところが目が覚めてみると時計がありません。寝る時、手からはずして枕の下に置いたのに。布団・敷布・枕と全部押し入れにしまいました。そこを捜してどこにもありません。「絶えず祈りなさい。」という聖書のことばを思い出して、座りこんで祈りました。するとしまいこんだ枕カバーの中から、ころっと時計が出てきました。

 もう一人は、すでに亡き、私の母のことです。裁縫していて糸の先についたまま針が見当たらなくなってしまいました。「神様、針が見つかりません。人様に怪我をさせるといけません。針を見つけさせてください。」母は祈りつつ捜しました。見つかりました。

 安藤先生、例のユーモアで一言。
 「何ごとも 祈るがカチカチ」
 時計の音からの一句でした。
 
 聖書のことば

いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 テサロニケ人への手紙第一 5章16、17、18節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2007.07.18放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■お金で買えないものもある

2007年07月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま、お金で買えないものはない。万事この世は金次第。まあそんな事をおっしゃる方いますよね。確かにお金というものがあれば、これもできる、あれもできると誰もが考えます。

 新約聖書(使徒の働き8章)の中にこんな話が書かれているんです。それは、サマリヤという町に魔術師のシモンという人がいました。彼は自分の魔術によって人々を驚かせていたんです。人々が、「シモンは偉大だ!」と称讃すればするほど彼は気持ち良くなっていきました。しかしこのサマリヤの町にイエス・キリストの福音を伝えるためにピリポという人がやってきて、そして素晴らしい働きをしたんです。イエス・キリストを信じる人々がたくさん起こされ、病む人が癒され、人生に空しさを感じていた人たちが讃美しながら歩む生涯に変えられていったんです。

 さあ、この魔術師シモンは、いつも自分が脚光を浴びていたものですから、このピリポの出現は脅威となりました。俺もピリポが持っているあんな力が欲しい、と思ったんです。そんな時に、エルサレムからペテロたちが来て素晴らしい働きをしました。シモンは、ますます、俺もあんな力が欲しい、と思うようになりました。そして何とペテロのもとにやってきて、「ペテロさん、あなたが持っている権威や力をどうぞ私のお金で譲ってください」と懇願したんです。ペテロはそのシモンの、お金で何でも手に入るというその姿を厳しく戒めたんですね。

 北欧のある詩人がこんな詩を書いています。

   食べ物はお金で買えるが
       食欲は 買えない

   薬はお金で買えるが
       健康は 買えない

   ベッドはお金で買えるが
       睡眠は 買えない

   化粧品はお金で買えるが
       美しさは 買えない

   別荘はお金で買えるが
       くつろぎは 買えない

   快楽はお金で買えるが
       喜びは 買えない

   友達はお金で得られるが
       友情は 買えない

   使用人はお金で得られるが
       誠実は 買えない

   静かな日々はお金で得られるが
       安らぎは お金で買えない

 ま、確かにお金で買えないものもたくさんありますよね。でもこのサマリヤのシモンという人は神様の一方的な恵みをまるで商取引するかのようにお金を持ってきました。

 私たちはともすると自分の功績、努力、力、財力、そうしたもので神様の一方的な恵みを手に入れようと考えることがありませんか? これこそうぬぼれた人間の姿なんです。

 私たちに与えられた恵みや賜物はすべてただで受けたものばかりです。しかしその背後に、イエス・キリストが自分のいのちを十字架で差し出してくださるほどの一方的な愛のみわざがあるんですね。何でも自分の力で手に入るという姿ではなく、神の前にへりくだる心を忘れないでくださいね。

 ( PBA制作「世の光」2007.07.17放送でのお話しより)

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■真実な方は脱出の道をも

2007年07月16日 | Weblog
 次回更新は 7/19(木)になります


 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
 
 えー、私たちが試練に会ったり苦しい目に会ったりする時に、誰もこの苦しみは分かってくれないとかですね、自分だけがその苦しみや試練に会っているというふうに思ってしまったりすること、それがまた余計に自分を苦しめたりしますよねえ。

 聖書の中に、コリントの第一の手紙の10章なんですけれども、
 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。」(13節)って(あります)。

 自分だけがって思ったりするんですけれども、必ずしもそうではなくって、いろんな方たちが実は経験しているんだよ、ということ。たとえ誰も分かってくれないと思うような事があったとしても、ヘブル人への手紙の中には、キリストは、「私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル人への手紙 4章15節)ということばがあるんですね。

 イエス・キリストっていうお方は、罪を犯すということ以外のことは全部経験してくださった方なんだ、だからこのお方は私たちの悩みや苦しみを分かってくださる。同情してくださる ことができるお方なんだということが書いてある訳ですね。

 そしてまた先程のコリント第一の10章の所では「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」という。神の真実というのは、決してその試練に会わせたままで終わらせる方ではなくって、耐えられないほどの試練に会わせることもないし、同時に「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(と)。

 「ともに」ってあるんですけれども、試練がやってくる時に、試練しかまあ目に入らない、試練しか私は分からない。でもこの試練とともに必ず脱出の道が備えられているのだ。それがすぐに分かる時もあるかもしれませんし、すぐには分からない事もあるかもしれません。しばらく時間が経ってでないとその脱出の道が見えてこないという事があるのかもしれません。ですけども、結果的に、ああやっぱり脱出の道は備えられていたんだなということが必ず分かってくるはずだ。なぜならば神は真実な方ですから、決して苦しみに会わせ試みに会わせっぱなしで終わらせる方ではないという事ですね。

 そういう意味で、どんな中にも神の真実を信じて信頼していきたいなと思いますね。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.07.16放送でのお話しより)

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■愛の章

2007年07月14日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。

 無名無住所のお方から、ただ一言、「第一コリント13章 愛の章」とだけ頂きました。パスにすべきかどうか大分迷いましたが、聖書の中で「愛の章」としてピカいちの新約聖書コリント人への手紙第一13章1節から13節をどうしても全国の皆様に紹介したくて採用させていただきました。長いのですがお読みいたしましょう。

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、
   愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
 また、たとい私が預言の賜物を持っており、
 またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、
 また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
   愛がないなら、何の値うちもありません。
 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、
 また私のからだを焼かれるために渡しても、
   愛がなければ、何の役にも立ちません。

  愛は寛容であり、
  愛は親切です。
  また人をねたみません。
  愛は自慢せず、
  高慢になりません。


 このへんで止めますが、本物の愛がなければ、すべて何の役にも立たない、何の値うちもない。本当の愛だけが永遠に残るものと言い切っています。その本質はと言えば、愛は寛容、親切、人のした悪を思わず、妬まず、自慢せず、と、一つ一つ何と具体的実際的で唸ってしまいますねえ。こんな愛、私の中にはありません、と心から認め、求めます。神の約束を信じ、祈ります。

 聖書のことば

 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
 コリント人への手紙第一13章13節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.07.14放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会
まで

  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■オラ・エト・ラボラ

2007年07月13日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、「オラ・エト・ラボラ」というお話しをします。聞いたことございますか? 「オラ」というのは祈りです。「ラボラ」というのは労働です。あのミレーの『晩鐘』の絵、若い農夫が仕事を終えて夕日の前に頭を垂れて祈っている姿、こんな「祈りと労働」という意味なんです。

 実は先日、仕事でウイーンに行きました。郊外にあるネルク修道院という所を訪問する機会がありました。ドナウ川のほとりの丘の上に宮殿のように輝く建物、幅が百メートル、長さが三百メートル以上もある広大なものでした。何と千年の歴史があるんですねえ。これはベネディクト派に属するもので、そのモットーとしている所は、ラテン語で「オラ・エト・ラボラ」。 ま、それにもう一つ「エト・レーゲ」ってあるんですが、つまり「祈り」、「働き」、「読む」この三つをモットーとして千年間続いてきてる、その歴史の重みを実感しました。つまり神様に祈りつつ仕事をしていく、聖書を読む。ま、そのことがヨーロッパの歴史の荒波を越えて、まあ千年以上も続いて、今も燦然と輝く、そんな修道院の礼拝堂に座ってのじっと考える時を持てました。

 私たち、今も、労働--仕事--、そこにはいろんな痛みや苦しみが伴います。創世記の3章の所にあることばによれば、人間は罪に堕落してから、労働が、楽しみや喜びだけではなく、苦しみ・痛みを伴ったと書いてありますが、私たちは神に祈り、そして聖書を読んでいく、イエス・キリストにある平安と心の支えを持って生きていく時、初めて、そんな労働の苦しみや痛みを乗り越えた、神の平安とまた慰めを得ることができる。ま、そんな意味を考えさせられました。

 今も私たちの周りには、格差の問題だとか、また仕事がないというそんな痛みもあります。私たち、仕事そのものの中にある様々な痛みがあります。いいえ、生きていくことも痛みかもしれません。でもイエス・キリストにあって「オラ・エト・ラボラ」、そういう生活ができるっていう恵みがあることを知ってください。
 
  (PBA制作「世の光」2007.07.13放送でのお話しより )

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■夜はふけ、昼が近づいた

2007年07月12日 | Weblog

 世の光の時間です。いかかお過ごしでしょうか。福井 誠です。
 
 今日も皆さんと御一緒に聖書を開いてまいりましょう。
 今日は、ローマ人への手紙13章12節、13節から。

 「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。

 『神の国』や『告白』といった著書を残した古代の神学者アウグスチヌスという人がいます。現在のアルジェリアにあるタガステという町で生まれた人でした。とても優秀な人であったようですが、心は平安もなく、さまようように不道徳な生活を送っていたといいます。明日もまた明日も堕落の道を辿るのか、これが人生なのか、と苦しんでいた時に、突然隣の家から「取って読め」ということばが聞こえてきて、アウグスチヌスは聖書を取り、このローマ書13章のことばに出会ったのです。

 「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。

 こうしてアウグスチヌスがキリスト教信仰を決断したのは、(西暦)386年のこと。それから約1600年近く経った今でも人間は同じような問題を抱えているように思います。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ、そんな生活が明日もまた明日も続くのか! 人間の愚かさにけりをつけたい思いで生きている人はいませんか? 

 聖書は言います。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、・・・、やみのわざを打ち捨てて、・・・、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。」 悪に傾きやすい心にブレーキをかけるかどうかは、あなたの問題です。神様は光の生活の中へと招いてくださっています。

 潔く心の向きを変えて神の助けを信頼し、正しい生き方そのものを喜んで歩ませていただきたいものです。

 ( PBA制作「世の光」2007.07.12放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 野の木々もみな手を打ち鳴らす

2007年07月11日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。
 群馬県高崎市にお住まいの八木さんから戴きました。

 「私ども高校の同期生も昔の先生たちの消息を尋ねる人々がたくさんいます。そこで先生の御消息を伺えませんか。ところで先生は民間放送で長い間放送していらっしゃいませんか。」

 この葉書に応えて近況をお知らせしましたら、
 「やはりあの放送は先生でいらっしゃったのですねえ、86歳になってなお現役との事、心から敬服します。ますますまの御健勝を祈ります。」

 八木さんは昔の高校で教師だった時代の教え子の一人です。その一人が私の放送を聞いていてくださったとは嬉しいですねえ。

 で、さあ今日の福音の四季のメッセージです。旧約聖書イザヤ書55章12節をお読みしましょう。
 「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

 俳句の季語には、「山笑ふ」というのがありますが、人の心がまことに喜びに満ち、人の心に歌が溢れる時に、山々丘々が喜び歌い、野の木々が手を打ち鳴らすのではないでしょうか。

 迫害の時も困難な日々も歌うことができ、嘆きの時も涙の日も手を打ち鳴らして踊ることができる。・・・神に救われた人は。 一万の悪魔が「おまえは不幸だ」と言っても、それをあざ笑うことができるのです。あなたにそれが見えないならば神のことばを眼鏡として見る時に、山と丘は喜びの歌声をあげ、野の木々も手を打ち鳴らすのを見ることができるでしょう。

 聖書のことば
 「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
 旧約聖書イザヤ書55章12節のことばです。
 
 それではまた聞いてください。

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■耳を閉ざさず

2007年07月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 えー、キリスト教会の中の最初の殉教者はステパノという人でした。ま、大変尊敬され、愛された人物でした。聖書に精通していた人であり、ま、多くの人がこのステパノによってイエス・キリストを知ることができたんですね。

 しかし、そんな素晴らしい人でしたけれども当時の宗教家や指導者たちから妬みを買われ、議会に引き出されたんです。蒼々たる議会のメンバーに向かって、ステパノは何と大胆に説教したんですねえ。

 彼は何を説教したんでしょうか。それは指導者たちに対して罪を指摘する説教をしたんです。何と勇気のあることでしょう。ステパノは言いました。
 「かたくなで、あなたがたは、いつも先祖たちと同様、聖霊に逆らっている。・・・あなたたちは律法を受けたと言っているけれど、決して守っていない。」(使徒の働き7章51節、53節参照)
 まあこのように鋭く説教したんです。

 彼らの反応はどうだったでしょう。それはもう大激怒でした。そしてステパノの説教を中断させ、石で打ち殺してしまったんです。彼らは自分たちの罪を指摘され、耳を覆ってしまいました。そしてステパノが指摘した通り、罪ある姿を現わし、ステパノを石で打ち殺してしまったんです。

 もちろんステパノは彼らの罪を指摘しただけで話しを終えるはずがありません。続いて何を語ろうとしていたんでしょうか。もちろんイエス・キリストがその罪を赦し、永遠のいのちを与え、新しい人生を与えてくださるということを語るはずです。しかし残念なことに、彼らはその豊かな神様の恵みを聞くどころか、自分たちで耳を覆ってしまったんですねえ。ま、誰しも自分の罪を指摘されるということは心地よくはありませんよね。聞きたくない話です。

 聖書を読み、また教会に行くと、時々私たちの心のずれや私たちの心の罪というものが指摘されることがあります。傲慢、高ぶり、不品行、貪欲、貪り、偽りなど、人間の罪というものが指摘されます。その時に、あなたが耳を覆ってしまうなら、あのステパノを殺した人々と同じなんですね。彼らは耳を覆って何をしたでしょう? ステパノを殺してしまいました。永遠の恵みの約束・救いを否定し、葬ってしまったんです。耳を覆っていく時、福音の神髄である赦しといのちを受け取ることができなくなってしまいました。

 でも大切なことは、耳を閉ざしていく人生ではなくて、聖書のことばに耳を開いていく人生、ここに本当の安らぎと救いが待っているんです。

 ( PBA制作「世の光」2007.07.10放送でのお話しより)

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■真実で正しい方だから

2007年07月09日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
 
 いつかラジオからこんな話しが流れてきてですねえ、どっかで嘘つきコンテストというのがあったそうでして、まことしやかに嘘とは分からないような嘘八百、それをこう並べて、コンテストがあってですね、で、結局そこで優勝した人はたった一言、「私は生まれてから、ただの一度も嘘を言ったことがありません。」て、その人が優勝したという話しが出てまして、えー、そうかもしれないなと思いましたね。

 聖書の中に、ヨハネの手紙第一なんですけれども1章に、「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」(1章8節)ということばがあるんですけど、「私に罪なんかありませんよ」とかですね、「一度も嘘なんか言ったことありませんよ」と言うとしたら、それは自分を欺いているんだということ、これは納得いくんじゃないかなあというふうに思うんですね。ですけれども私たちは、「人間はみんな罪を犯す。失敗だらけなんだからしようがないじゃない!」ということではなくって、神様はやっぱりその罪を罪のままで放っておきなさる方ではなくって、それをきちんと整理してくださるということでなきゃならない訳ですね。

 で、聖書の中に、「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1章9節)ということばがあるんですね。で、正しい方というのは、罪を本当は赦せない、罪は罪としてどこまでも糾弾せざるを得ない、そういう性格だと思うんですね。ですけども、人間を本当に正しく裁くことができるお方である神様だけが人間の罪を赦す権利を、権威をお持ちであるということですね。で、神は正しい方ですから、いいかげんにそれでいいじゃないのというふうな訳にはいかない。

 そこで神はイエス・キリストを私たちの罪の身代わりとして十字架につけ、---御自分の独り子をですね---、そしてあの罪の始末を解決を十字架でつけてくださった。これは神は正しい方だから、罪をそのままにしておくことができないので罪の裁きはやはりきちんとけじめはつけなければならない。そのことはキリストによってなされたということなんですね。

 しかし神は真実な方ですから、私たちを赦すことが神様の目的でいらっしゃる訳で、そのイエス・キリストを通して罪を赦して悪からきよめてくださる。これが神の真実の現れなのだということを聖書は教えている。これはとても大切な真理だと思うんですね。

 
 ( PBA制作「世の光」2007.07.09放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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