世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですねえ。
聖書の中にこんな話しが出てきます。ある時ペテロとヨハネが午後3時頃、祈りのために神殿に上っていきました。すると生まれつき足の不自由な人が運ばれてきたんです。この男は神殿に入る人たちから施しを求めるために、毎日、美しの門という名の門に座り、物乞いをしていたんです。するとペテロはその男を見つめ、「私たちを見なさい。」(使徒の働き 3章4節)と言い、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」(使徒の働き 3章6節)と告げたんです。そして彼の右手を取って立たせたんですねえ。なんと彼の足とくるぶしが強くなり、踊りあがって真直ぐに立ち、歩き出したんです。
この出来事が起こった場所を想像してみてください。そこは美しの門という場所でした。ビューティフル・ゲイト、名前の示す通りそれは大変綺麗な門だったんでしょう。しかしそこには、美しさとは程遠い薄汚れた男が運ばれてきました。私はこのアンバランスさが人ごとには思えないんですねえ。なぜならまるで現代を象徴するかのような光景をそこに見るからです。現代は豊かな時代です。華やかな時代です。ファッションに身を包み、飽食の時代と言われて久しいですねえ。美しい建物があちこちに建てられ、それは目を見張る光景です。それはまさにあの美しの門に象徴される華やかさがそこにはあります。しかしその反面、その美しの門に、自分では歩くことのできない、どのように歩いたらよいか分らない薄汚れた男がいることもまた事実なんです。
科学は進歩しました。凄まじい技術の進歩を遂げました。教育の水準は世界でも屈指の国になりました。しかし残念ながら、科学の進歩が、技術の進歩が、教育の水準が、その人の内面の救いを与えはしないんですね。
確かに美しの門は作れても、人間の罪の性質を取り除くことができないんです。生きるってどういうことなのか、生きる意味があるのか、自分の存在に目的があるのか、そうした答えを残念ながら美しの門は示してはくれませんでした。
しかし、美しの門のあの場所に、ペテロとヨハネが来ました。そして大胆に「私たちを見なさい」と語ったんです。そして「ナザレのイエスの名によって、歩け」 そう命ずると、歩き出したんですね。
聖書は私たちに何を教えているのでしょう。それは単純明解です。人生を本当に歩くことができるようにしてくれるのは、美しい装飾や建物ではなく、イエス・キリストにこそあるのだと大胆に告げるのです。
( PBA制作「世の光」2007.05.08放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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