世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
いつか朝日新聞のコラム欄にですね、ヘレン・ケラーのことばが紹介されていました。
「望まなければ何事も成就しません。
希望は成功に導く信仰です。 」
御承知のように彼女は、見えない・聴こえない・話せない、という三重苦の中でも希望を持ち続けたということですよね。その希望があったからこそ彼女をあのような「奇跡の人」たらしめたということが言えると思いますねえ。それにしても、まさに絶望と言える状況の中で、よくも希望を失うことがなかったものだなあとと驚嘆する他ありませんね。
聖書の中に、「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」ということばがあります。ローマ人の手紙の4章(18節)ですねえ。ここの彼というのは、信仰の父とまで言われるアブラハムという人のことです。状況的に見て何とかなりそうだという時に望みを持つことは誰にでもできるに違いありません。しかしアブラハムの場合、神様から祝福を受け継ぐ子どもが与えられるとの約束があるとはいうものの、本人はもう百歳にもなっていました。しかし彼は、「自分のからだが死んだも同然であることと、(妻の)サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」(ローマ4章19節)というふうに書いてあるんですねえ。本当に驚く事ですよねえ。
ヘレン・ケラーの場合も、望み得ない状況の中でなおかつ望みを抱いて信じていたという点では同質の信仰と言えるかもしれませんね。アブラハムがそんな望み得ない時にもどうしてなお望みを抱いていることができたのかと言いますと、それは言うまでもなく、神を信じていたからですねえ。
では彼が信じていた神とはどのような神だったのかというと、聖書には、彼が信じた神は「死人を生かし、無から有を呼び出される神」(ローマ4章17節 口語訳聖書)であると記しているんですねえ。
普通は死んだらおしまいですから、死は絶望を意味します。しかしアブラハムの信じていた神は死人をも生かす神ですから、神は絶望をも希望に生かすことができると信じて疑わなかったのですね。「望み得ない時にも望みを!」と言っても、単なる意地っ張りや空望みではありません。根拠があってのことです。事実キリストを死からよみがえらせたお方、更にそれ以上に無から有を呼び出す神、すなわち創造主なる神がおられるのだというこの確信による希望ですね。
( PBA制作「世の光」2007.05.07放送でのお話しより)
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