2022/3/9放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。
イエス様は一晩魚の捕れなかった漁師のペテロに「深みに漕ぎ出して網を下ろしなさい。」と言われ、ペテロは「でもおことばどおり」と従いました。
どうしてペテロはこの「でも」と言うことが出来たのでしょうか。それはシモン・ペテロが舟を漕ぎ出してイエス様が群衆に教えられるイエス様のことばを、誰よりも近くで、イエス様の側で聴いていたからです。揺れる小舟の上でイエス様の群集を見つめる眼差しを見ていました。「この方の語られることばは、今まで自分の考えていたことと何かが違う。」「このことばは信頼し得る。」と思わせるみことばの経験をしていたのです。ペテロはこのときまでに、イエス様のことばのすぐそばにいたんです。これが「でもおことばどおりに」と告白が生まれた理由です。
更に、イエス様が「深みに漕ぎ出せ」と語られ、ペテロは「おことばどおりに」と応答したのは、ペテロのイエス様への「祈り」とも言えるでしょう。「でも」という信仰を形作るのは「祈り」の生活です。祈りでいつも神様に私たちは言うんです。「私には色んなことがあります。あれもこれもあって大変なのです」と。祈りで私たちの抱えている現状をイエス様に聞いてもらう。そして祈りにおいてこそ私たちは、「でもおことばどおりに」という大逆転を信じる信仰が形成されていくのです。
祈りを始めた時はまだ信じることができていないでしょう。しかし祈り始める時、私たちはこの私たちの深くて深くて闇のように見える深みの先の先には必ず「おことばどおりに」と言える、そんな日が来るのではないか、と願いながら祈りを始めているのです。
いくら私たちにやる気があって華やかに何かをすることが出来たとしても、やがて人間的にはそのやる気もなくなってしまうということがあります。しかし、祈りとみことばの時間が、私たちに大逆転の「でも」を形成していってくれるのです。
神のことばと祈りの近くにあなたの生活はあるでしょうか。あなたが今日、疲れ果ててしまっていて、やる気を失っているならば、先ずはペテロのようにイエス様のことばの直ぐそばに行きましょう。そこで静かに祈り始めるとき、あなたの中にも必ず「でもおことば通り」という祈りが自然に生まれてきます。
( PBA制作「世の光」 2022.3.9放送でのお話しより )
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