世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、私のような年代になりますとですねえ、「この頃、物忘れがひどくってえ」というふうなことをよくまあ話し合ったりするんですねえ。「人の名前がなかなか思い出せなくってえ」とかですね、私も忘れないようにってしゃんとこう玄関の所に置いといて、それをまたいで行っちゃって「あっ、忘れた。」とかですね、そんなことがあったりとか、本当によくそういうふうに、なんて忘れっぽいんだろうというふうに思うんですけれどねえ。
まあ忘れ物の筆頭と言えば傘のようですけれどもね、雨の時なんか雨降ってる時はいいんですけれども晴れてしまった時なんかはすっかり忘れてというふうなことが多かったりしますね。忘れ物の中には面白いものもあってお骨を忘れていっちゃりですねえ、また入れ歯を置いていっちゃったりとか、まあ携帯なんかはざらなのかもしれませんけどね、とにかくまあお年寄りだけじゃなくって若い者でも忘れ物はするんだなあというふうに・・・。
『日本人の忘れ物』という本を書いた方が いますよねえ。人間の心の中には物を大切にする心とか弱い人を労(いたわ)る心とか目上の人を尊敬する心とか、日本人の持っていたそういう良いものを段々忘れて行っているんではないかというような、そんなことが言われたりしている訳ですけれどもね。
で、私たちはまあ時にはその人の性格にもよるでしょうし、年齢にもよって忘れるっていうことはどうしようもないのかも分りませんのですけれども、聖書の中で、他のものは忘れてもこれだけは忘れないようにということばがあるんですね。「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」(ペテロの手紙第二3章9節、10節 口語訳聖書) 人間の罪は本当に神様の前にもう我慢のできないぐらいにまで積み重なっている。本当はもう神のさばきはもう来なければならないような状態にまでなって来ているんだけれども、しかし忍耐をもって神はそれを延ばしておられる。でもやがて決着がつけられる時が必ずあるのだという事だけは決して忘れてはならない。それがいつであるか分らない。他のことは忘れてもいい。けれども私たちはやがて神の前に本当に出なければならない最終的なその時があるという事。これだけは忘れないで一日を送るようにということを大切にしたいと思いますねえ。
( PBA制作「世の光」2006.05.29放送でのお話しより)
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