2022/9/5放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日は、「聖書中の聖書」と言われるほど有名なことばを紹介いたします。
ヨハネの福音書3章16節
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
「神は世を愛された」と書かれていますね。「世」とは、いったい誰のことでしょう。それは、私たち一人一人のことなのです。ですから「世」ということばをあなたの名前に置き換えて言ってみたら良いと思うのですね。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、関根弘興を愛された。」といった具合です。
それでは、神様の愛とは一体どんな愛なのでしょう。それは、「神はそのひとり子をお与えになるほどに」と書かれているように、最も大切なものをあなたに差し出すほどの愛だというのです。
そしてここに記されている「神のひとり子」とはイエス・キリストのことです。つまり、イエス・キリストが来てくださったのは、「あなたを愛している神様がいるからこそなのですよ」というのです。
愛はいつもあなたの最善のために具体的な行動というものが伴います。イエス・キリストはあなたのために、それもあなたの罪をすべて背負って十字架で身代わりにいのちを捨てるために来てくださいました。あなたのためにいのちを捨てるほどの大きな愛に、あなたは愛されているのですねえ。
私は高校一年生の夏、教会が主催した高校生バイブルキャンプに出かけました。そこで牧師が熱く語ってくれました。「イエス様はあなたの罪を背負って身代わりにいのちをお捨てになったのです。あなたのために、あなたのために・・・」と、一人ひとりを指さしながら語ってくれました。
私は少ししらけてしまって、「俺はそんなこと頼んでないし、『あなたのために十字架についてくださった』と言われても、2000年も前の出来事がどうして私と関係があるのか」とピンときませんでした。
しかしその時、「私は人のためにいのちを捨てることができるだろうか。決してできないなあ。でもイエス・キリストは私のために、それもイエス様に反発していた私のためにいのちを捨ててくださったとするなら、これが本当ならこの方を無視して生きることはとても卑怯なことだ」と思ったのです。
そして、私はイエス様を救い主として心に迎え入れる祈りをしました。私は十字架で身代わりにいのちを捨てるほどの大きな愛を知って、クリスチャンとしてのスタートを切ったのです。
そしてイエス様が与える救いは永遠に失われることのないものなのですね。
( PBA制作「世の光」 2022.9.5放送でのお話しより )
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