世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日は「嫉妬」という題でお話ししましょう。
嫉妬心を少しも持たず友人の成功を喜ぶ強き性格の持ち主は皆無である、ということばがあります。 嫉妬心はすべての人々の心の中にあり、それに勝てる人はいないようですね。 さて、旧約聖書のダニエル書の続きです。
時代は大きなうねりをもってバビロン帝国からメディアとペルシャの時代へと移って行きます。 ダニエルはメディアとペルシャの時代にも仕えていました。 メディア人ダリヨスが王様になりました。 紀元前5世紀後半頃の王様でクロス王とも呼ばれている人であります(※)。 ダリヨス王様は国を120の州に分け、それぞれに知事を置きました。 州知事の上に3人の大臣を置き、ダニエルはその一人でした。 ダニエルはその優れた能力のゆえに他の大臣や州知事よりは遥かに有能であることが誰の目にも明らかでした。 そこでダリヨス王様は彼を行政長官として全帝国を治めさせようとしたのです。 そのため他の大臣や州知事は激しく嫉妬し、ダニエルの行政に何か落ち度はないかとあら探しをし、王様に訴える口実を見つけようとしたのです。
さて、嫉妬の嫉は女扁に病だれの中に矢と書きます。 心が病み、他の人の価値に対して憎悪の矢が一杯になるのでしょう。 嫉妬の妬は女扁に右は石と書きます。 心が石のように冷たく固くなってしまうのでしょうか。 他の人に矢を射る。 石を投げ付けたくなる、ということでしょう。
ところがダニエルには何一つ批難すべきことを見つけることができませんでした。 ダニエルは正直に振る舞い、誠実だったのです。 そこで残された道はただ一つ、ダニエルの宗教を突くことだ、ということになりました。 続きは来週です。
それにしましても嫉妬は恐ろしいものですね。 嫉妬深き人は錆が鉄を蝕むように自分自身の気質によって蝕まれる、ということばがあります。 嫉妬の炎によって私たちの心はからからに渇いてしまうのです。 ですから天の神様から暖かい愛の水によって潤され癒される以外にはないのではないでしょうか。
イエス・キリストのことばです。
「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」 (口語訳聖書)
ヨハネの福音書7章37節、38節
※ ダニエル書5章30-31節以降では、カルデヤ人の王ベルシャツァル(新バビロニヤ帝国ナポニドス王の息子)が殺された後の王がメディヤ人ダリヨスとされている。一方、楔形文字の資料では次の王はクロス王とされている。このことの調和に関して、聖書の記述を尊重する保守的立場として二つの立場があげられる。 一つは、ダリヨスとはクロス王の部下でバビロンと川向こうの地を統治したグバルのことであってその力から王と呼ばれたのだとする立場。 もう一つは、ダリヨス王とはクロス王のことであるとする立場で、この場合はダニエル書6章28節「このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロス王の治世に栄えた」の部分は「ダリヨスの治世すなわちペルシヤ人クロス王の治世」とする文法的選択肢をとることになる。
( PBA制作「世の光」2009.7.22放送でのお話より )
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