世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
イエス・キリストの弟子の一人ヨハネは晩年に教会にあてた手紙を何通か書いています。ヨハネはイエス・キリストをどのように見ていたのでしょう。そして彼はイエス様を私たちにどのように紹介しているんでしょう。
ヨハネはこう言っています。イエス・キリストは始めから存在している方だ。天地創造の始めからいらっしゃる方だ。その方が人として来てくださったのだ。私たちが見、聞き、そして触ることのできた方なのだと彼は言いました。ヨハネはイエス様をじっと見つめるなら栄光が見えてくる、恵みが見えてくる、本当の真実が見えてくると紹介しているんです。ヨハネはイエス様は歴史的な人物であり、架空の人物とか幻影ではなく、私たちにいのちをもたらす永遠のいのちそのものだと伝えているんですねえ。
イエス様は十字架で死なれましたが、三日目によみがえられた方であるからこそ今も私たちはこの方と親しく関わり合うことができるんだと聖書は教えているんです。
ま、考えてみれば、死んだ人とは交わることはできませんねえ。もし私は死んだ人と毎日交信しているんです、なあんて言う人があったらそれは、いわゆる霊媒とか口寄せというもので、それは聖書ではっきりと禁じていることです。なぜ禁じているかと言うと、そこには混乱と人を破壊する悪魔的なものが満ちているからなんです。死んだ者とは交わることができません。それは決して人を豊かにすることはありませんし、あなたを束縛するだけです。
しかしイエス様は死なれましたが、今も生きておられるんです。生きておられる方だからこそ私たちはイエス・キリストとの交わりを持つことができると聖書は教えるんですね。
でもこの交わりということば、具体的にはどういうことなんでしょう。それは、イエス・キリストのいのちを共有するということなんです。私たちの体はたくさんの細胞からなっています。でも新陳代謝で常に新しくされていく訳なんですよね。古い細胞はなくなってしまいますが、でも私の存在は決して変りません。そこにいのちがあるからです。キリストのいのちを共有するということは、例え私たちの外側が変ったとしても、そこに変らない永遠のいのちがあるということなんです。イエス様のいのちを共有しているということは、あなたの存在そのものが例えどんなことがあっても決して失われることはないということなんですね。失われることのない永遠のいのち。このいのちをイエス・キリストはあなたに与えようと約束されているんですよ。
( PBA制作「世の光」2007.02.27放送でのお話しより )
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