♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■期待し諦めず / 関根弘興

2018年09月07日 | Weblog
2018/8/3放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

イエス・キリストは人々に福音を語り、多くの病んだ人たちを癒すなど奇蹟的なわざを行なわれました。するとイエス様の評判は瞬く間に広がっていきました。イエス様がカペナウムという町のある家におられた時でした。多くの人が集まり、家の戸口まで隙間もないほどいっぱいになってしまいました。イエス様がその家で説教しておられると、説教の最中に屋根がバリバリと剥がされ、何と天井に穴があき、そこから病人を寝かせた寝床が吊り下げられてきたんです。吊り下げられてきた人は自分で体を起こす事ができない病で苦しんでいました。この人には大きな犠牲を払うことを惜しまない4人の友人たちがいたんですねえ。彼の友人たちは、何とかしてこの人助けたいと思い、屋根を剥がし、この人をイエス様のもとに吊り下ろしたんです。するとイエス様は、その友人たちの信仰を見て、病気の人を助けてくださったのです。(マルコの福音書 2章1~12節、ルカの福音書 5章17~25節)

 では彼らの信仰とは一体どのようなものだったんでしょう。
 それは第一に、期待する信仰を持っていたということです。この友人たちは難しい神学的なことなどわかっていなかったでしょう。でもただ一つ、病気であった仲間をイエス様のもとに連れて行きさえすればイエス様が助けてくださると期待したんです。

 そして第二は、諦めずに求め続ける信仰を持っていました。人が4人集まればいろんなタイプの人がいます。こんなに人が一杯じゃもうだめだ、帰ろうという人がいたかもしれません。いやいやもう少し並んで待っていれば家に入るかもしれないと考えた友人もいたでしょう。この病気の人も、これ以上皆の世話になってはすまない、もういいよ、ここまでしてくれてありがとうと言ったかもしれませんね。しかし彼らは諦めずに何とかしてイエス様のみもとに行く方法を考えたんです。

 当時のこの地方の家の屋根は平らで比較的に剥がすことが簡単にできたと言われます。とは言っても他人の家の屋根を勝手に剥がすというのはかなり無謀な事ですよねえ。あとで修繕費用を要求されるかもしれません。しかしイエス様のみもとに友人を連れて行きたいという強い願いが彼らを動かしたのです。

 聖書には諦めずに求め続けることの大切さを教える箇所が幾つもあります(マタイ7章7-11節、 ルカ 11章5-13節、ルカ 18章1-7節)。信仰とはイエス様に期待し求め続ける姿でもあるんですね。

  (PBA制作「世の光」2018.8.3放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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