2021.5.22放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に今週は読んできました。イエス・キリストに至るまでの系図がそこには出てきて、またイエス様が、三十歳で神様のことばを語り始められたということを学んできたわけです。
私は大学を卒業後、二十二歳で伝道者デビューをしました。キリスト者学生会という学生伝道のスタッフとなったのです。出席していた教会の説教ローテーションに入りました。すると、教会の中で長らく牧師をされている主任牧師という働きがありますが、その先輩牧師が目の前に座られたんですね。そして私の説教を目をつぶって聞きながら、「うん?」と首を傾けて、他の聖書の箇所を開かれるのが目に入ってきたわけです。「あれ? 変なこと言ったのかな?」と、汗が流れ出る経験でした。そして、いつも説教が終わった後、その先輩牧師に「今日の説教はどうでしたか?」と聞きに行きました。
すると、幾つもの忘れられない助言をいただきました。「説教とは、聴衆と神様との交わりだと分かっていますか? あなたの説教は、言いたいことをマシンガンのようにダッダッダッダッダッと打ち続けている。聴衆の無言の応答が聞こえていますか? 説教者はその無言の応答を聞いて、再び神のことばを取り次ぐのです。」
また、クリスチャンではない父親にも説教の録音テープを送りました。すると父から電話があって「お前の説教はノンクリスチャンの俺からすると、上から偉そうに言われている気がする。」と感想が届きました。そうやって落ち込んだり反省したりして過ごした二十代の経験がどれほど大きな経験となったでしょうか。年齢を重ねると、こういう指摘はあまりしてもらえなくなります。十代、二十代の時期は失敗の許される時期だということもできるでしょう。
あるクリスチャンの営業マンの方から、「二十代のうちに、自分のしたミスをきちんと謝ることができるようになりなさい。今、自分のしたことを謝ることができなかったら、いつか自分の部下ができた時、その部下の失敗を、自分の責任です、とその部下のために謝ることなんかできない。あなたは今、ちゃんと謝れる二十代を過ごしなさい。」
たくさんの人から叱ってもらって三十歳を迎えることができたことは、私にとって本当に幸せでした。実は、謝ることが出来ない牧師も多いのかもしれません。いつの間にか高慢になってしまう。
イエス様は三十歳まで大工の仕事をされました。仕事を覚えるため、たくさんの先輩大工から教わったでしょう。謙遜に人から教わり、自分の過ちはいつでも謝ることが出来る人生へと向かっていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」2021.5.22放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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