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花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

白亜の建物電話局

2023年11月04日 | レモン色の町

またまたYouTubeでGGシニアさんにアップしていただきました 大博覧会上空を飛行するタケちゃんマン!ここまでできるとは!恐れ入るばかりです ご覧ください 否  ごらんくさい!

「87年前に開催された凄い博覧会/タイムスリップ四日市」 - YouTube

昭和10年の四日市電話局 文化展望四日市 第5号 昭和62年発行 

四日市に電話が開通したのは明治33年で加入者117名、電話局は四ツ谷新町にあったが大正14年6月からは沖の島に新築移転し、局附近の地下電話敷設も同12月出来上がり、交換機も単式から複式に、市内市街とも大市街交換機に一新された。朝夕は中央の通用門から袴姿の電話交換嬢が出入りし、塀の奥の空き地には電話ケーブルを巻いた大きな木製のリールがたくさん置かれていた。建物は戦災後も活躍し、昭和38年元新町に新築移転の後は四日市郵便局がその跡に建っている。(電話交換手も当時は花形ビジネスガールだったのでしょうか?)

四日市の100年より 昭和18年 子供も大人もひとつになって、町内の連帯感を強くした。電話局となり(西側)の空き地にて。(左の建物は間違いなく電話局です)

昭和43年の住宅地図でみると、諏訪新道沿いには郵便局になり、電話局は北西の三滝通り沿いに建ちました。しばらくは1階に受付が併設されていましたが、現在の連絡手段はすべて電話のみとなりました。現在は、西側駐車場で工事人の伯父さんをチラホラ見かけるばかりです。(建物の中でなにしとんのやろ?)

現在 電話局跡に建つ郵便局  昭和62年当時の写真

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納屋運河の眺め

2023年11月01日 | レモン色の町

昭和9年の納屋運河

 蓬莱橋の上から眺めた昭和9年の納屋運河。向こう岸の団平船(だんぺいせん)が並んでいるところが、昔の二代目四日市湊の船着き場の跡。その浜には浜往還一本松と呼ばれる巨松がそびえて旅人たちに緑陰を与えていた。右方に見える開栄橋の脇には駐在所と半鐘のついた火の見櫓が立つ。中央の白亜館は四日市郵便局。半鐘の向こうに煙を吐く煙突は東洋紡績。昭和62年12月発行 文化展望第5号 椙山満著 四日市今昔⑤より

現在は、白亜の郵便局も沖の島へ移転され、郵便局の跡を記す“逓信省用地”と彫られた境界石のみが残っています。

昭和62年当時

明治期、郵便局に西に稲葉三右衛門翁が住んで居ました。この開栄橋を稲葉翁は何度も何度も行き来したことでしょう。

昭和13年の地図 第二期築港工事が進み 千歳橋から千歳町の埋立地にわたることが出来ました。ここで昭和11年3月 国産振興四日市博覧会が開催されました

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