昭和33年、宮内庁は、日清製粉社長 正田英三郎の長女である美智子さん(現・上皇后)を皇太子妃として迎えることを発表した。皇室としてはじめての平民からの起用となった。高度成長期の中、マスコミはこぞって美智子妃の生い立ちや、軽井沢テニスコートでの出会いを報道し、空前のミッチーブームを巻き起こした。翌34年、皇居から東宮仮御所までの約9kmにわたるご成婚パレードは実況生中継され(この時、不届き者が馬車にしがみついた)、多くの国民はテレビの前に集まった。懐かしの昭和30年代 宝島社刊 1100円より
問1.さて、お二人のご成婚を祝し、團 伊玖麿氏によって作曲された曲のタイトルは何だったでしょう。
A.皇太子のタンゴ B.祝典行進曲 C.祝婚歌 D.黒猫のタンゴ E.王将 F.蒲田行進曲
はじめて民間から皇室に入られた美智子妃殿下が、皇室内でいじめや嫌がらせを受けたことを聞いたのは後年になったからでありました(このことは様々な異論があると思いますが)。しかし、その中から生み出されたであろう“思いやり”の御心は、震災現場への訪問等でも伺い知れるように、被災者にひざまずいてお話をされる姿をみると胸に迫るものがあります。苦労はするものでゴザイマス。皆さん苦労 シテマスカ!(本日はGoTo商店街で“アントキの猪木”さんが来ていました)
「目で見る四日市の100年」より
写真は、昭和48年夏。“市民ホール”で挨拶をされた折、大入道保存会会長の辻三吉さんが、美智子妃殿下に大入道の玩具を見せているところ(この玩具は当店にて380円で今でも販売いたしております)。
大入道を見て感心している美智子妃は エライ! 左は当時の加藤市長
東京オリンピックの前哨戦となった、昭和31年開催のオーストリア・メルボルン大会と昭和35年のイタリア・ローマ大会は、東京開催決定に伴い国内では盛り上がりをみせた。さて、問題2.二つの大会で日本が獲得した金メダルの数は各何個だったろうか?(実は、同じ数だったのです シリマセンデシタ)
A.2個 B.3個 C.4個 D.35個
ローマ大会での入場行進
東京オリンピックをテレビで観ていたのは、高校1年生の時だった。構内にプレハブ小屋があり、アイスクリームのケースが置いてあって、そこでアイスを食べながら観戦した。生協運営のプレハブ小屋は無人で、箱の中に料金を入れアイスを取り出して食べる(アイスを取り出して料金を入れたか?)。入学時にはこのシステムに驚き、少し大人になった気がしたものである。