花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

三重軌道の敷設は何処か?

2024年02月23日 | レモン色の町

うえの様から、明治44年の記事を送っていただいた。

明治44年4月8日付 伊勢新聞より

  • 四日市の新道開設  三重県軌道工事関係 

 四日市市にては去る4日 市会に引き続き議員協議会を開き 室山に通じる三重軌道株式会社の線路に関係ある新道 及びこれを幹線とする数條の支道を開設するにつき 里道開設委員として家田、毛利、久志本、山中、熊澤、大平、稲葉の七氏を挙げ 6日午後1時より同委員会を開き参事会員列席の上 協議し道路敷地を踏査したるが 右は東海道 江田 橋北(はしきた)を起点とし 諏訪前通(すわぜんつう)と並行して善光寺脇を過ぎ停車場前に達する8間巾(14.4m)424間(763m)及び阿瀬知川境に達する7間巾(12.6m)312間(561.6m)にして 両線いずれも中央2間巾の軌道を敷設せしむべく 軌道の左右は各地主より無代上地し 線路敷地は三重軌道株式会社にて買収起工するはずなり 此の他 東海道筋阿瀬知川橋より約75間(135m)南方より人造肥料会社脇に通ずる5間巾(9m)469間(軌道なし)(844m)を設け (四日市鉄道か?)この新道3條を幹線として数條の支線を通じる予定にて 敷地は前記の如く全部地主より上地せしめ工費1万8千7百6十余円(架橋費を含む)は3分の2を大字浜田より支出し 3分の1を市より補助する計画にて構梁費及び家屋の移転料5千6百3十余円は肥料会社の共有地3反2分を売却して充当するの見込みなりという。

明治43年発令の「軽便鉄道法」に申請して、三重軌道株式会社が江田(えんだ)町から善光寺を通過して阿瀬知川(本社前)に達する線路と、もう1本、四日市鉄道かと思われるが東海道筋阿瀬知川橋より135メートル南から844m東へとある。

明治44年の地図には、鵜の森神社からまっすぐ東へ、計画が出来ているが、この線(阿瀬知川橋より南方75間?)も予定線だったのか?後日記入:鵜の森神社から東へ伸びているのは、道路計画の線です。

昨日、図書で「読みたくなる地図 西日本編」海青社 を借りてきた。明治22年5万分の1の地図が掲載されていた。

これが明治22年か?と疑ってしまう。軽便鉄道法が敷かれたのは明治43年。

明治22年か?点線は予定線 水色は阿瀬知川

「みなみはまだ」と「ほりのき」の駅があるから、地図作成時期には「すわ」までの両線路は敷かれていた。「すわ」から「よっかいち」までのルートと、阿瀬知川(水色の線)河口までのルートが迷走しているようだ。内部まちかど博物館に伺うとその謎が解ける。行きましょう!行きましょう!

 

 


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3 コメント

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地図の通りです (たいじゅ)
2024-02-23 22:36:07
水谷様
明治44年の新聞記事は新設「道路」の説明記事と思われます。明治44年の四日市市地図の赤色に塗られた3本の新設道路計画の説明が詳しく書かれています。
①諏訪前通(諏訪新道のこと。この頃は諏訪前通と言っていたらしい)に並行して善光寺前に抜ける8間幅424間の道路
➁①の道路から阿瀬知川北岸に抜ける7間幅312間の道路
③旧東海道の阿瀬知川に架かる橋(※正確な名称は知らない)から75間南に下った所から東へ抜け人造肥料会社脇(地図では切れていて見えない)に通じる5間幅469間の道路
なお、①➁の道路には中央に2間幅の三重軌道の線路が敷かれることになっている
この記事内では四日市鉄道の線路の事に関しては言及していないようです。

ちなみに、「読みたくなる…」掲載の地図は三重・四日市両鉄道が諏訪町付近終わっているため大正2年9月前後のものと推測されます。なぜ明治22年になっているのかは謎です。明治22年だとまだ院線四日市駅開業してないはずですよね(笑)いい加減な書籍ですね!
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追記です (たいじゅ)
2024-02-23 22:41:58
四日市鉄道の予定線路はもともと新たに敷地買収して完全な専用線路を敷く計画になっていたので、今回の新道開設計画とは全くの無関係ということになります。
仮に敷くとすれば、①の道路のすぐ横(南側)に敷くでしょうね、院線四日市駅の目の前に出ますから。
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前略 三重軌道様 (タケオです)
2024-02-24 10:02:25
一般平民にはついていけないような・・・。ドツボにはまりそうな。それでも面白そうな。
鉄道は難しいです。吸収、合併があって 少しづつ線路を伸ばしていく
もう少し理解した後 ドツボにハマらせていただきます ありがとうございます
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