花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

閑話休題 四日市幼稚園

2020年03月09日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

伊勢の国の下総人さんが 四日市幼稚園と浜田小学校の出であることを コメントで知りました

昔、四日糸幼稚園の配置図を手に入れて このブログで紹介したのですが 見当たりませんでしたので 再々掲載をさせていただきます 是も再々掲載ですが 名古屋タイムスさんの昭和28年の記事が 大変面白いので 未読の方は読んでみてください

四日市幼稚園の配置図と写真です

僕の組は 便所の香り漂う①の星組でした 砂場で正ちゃんと遊んでいたら 猫の糞が出てきました 

幼稚園の道を隔てた 南西にカトリック教会がありました 戦前は川村鉄工さんの別宅だったようです

“聖なる教会”真ン向かい 紅い燈ともる特飲街 そのまた隣が幼稚園(昭和28年 名古屋タイムスより)

〇 諏訪連鎖街を昔は新田町といった。戦前、諏訪神社の境内だった土地に諏訪産業という会社が軍隊の払い下げの建物で建売りを始めたのが戦争直後、ボツボツ人も入り住んだが、一日で二人の通行人しかなかった日もあって最初に店を開いた人は泣いたそうだ。これが一期生。それから順次二期生、三期生、四期生となるころは今のような盛り場が出来上がった。それ以後は新入生と称するそうだ。現在(昭和28年当時)七十六軒、周辺は商店で真ん中の小道はノミヤが多く、客も社用族が多い。僕の家というのは、桑名町で同名の店を出して有名だった。主人は年うつり、いまやまるハゲとなった。ホセとカルメンは同じ資本のバー、白菊、文楽はよくはやるノミヤ、特徴はヨルバイトをしないこと、だそうだ。街に立つ女もいないし、温泉マークも周辺にあるにはあるが青線的形態ではないらしい。その方の御用は専らこちらと港楽園、春告園という特飲街がある。両方合わせて40軒、女を不当にサクシュするとかいうのでしばしば手入れをされたアブレ赤線業、行き詰まりの狭い路地のズラリと並んで、気の弱い男はとても近寄れない。ほかに諏訪公園前に待合という名の特飲店が数軒、その前にはカトリック教会があり図書館があり幼稚園があり、まことによき対照をなしている。すなわち図書館の窓から干し物が望まれたり、幼稚園の子供が区域へ迷い込んだり、しばしば問題が起こるゆえん、もともとカトリック教会があったのを無理に赤線が出来たものらしい(昭和30年頃までは教会と赤線が並立していた)。かつて、立ち退け、いや退かないでゴタゴタがあったそうだ。(文・川太郎、え・ワシズ泉夫)

空襲後の諏訪公園付近

 

 


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2 コメント

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公会堂のこと (タケオです)
2020-03-10 12:12:15
下総人様 もう見つけていただいたと思いますが 2019年9月25日のブログに公会堂のことが記してあります まだでしたら 是非・・・
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2020-03-10 13:17:18
わたくしのコメントへいろいろお返事を頂戴し、ありがとうございます。
四日市幼稚園の建物の写真と見取り図。武兵衛さんのかなり昔のブログでよく存じており、記事のスクリーンショットも残しております。
実はこのブログの存在を知ったのは、大協石油の火災記事を探していて、偶然見つけたこの記事だったのです。
ご縁ですね。
余談ながら、この昭和29年、私は浜田小学校の二年生でした。
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