花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

稲葉翁伝⑮ 山中家での話合

2021年09月15日 | レモン色の町

県庁での返事は、波止場修復には戸長の承認がいるという事だった。明治5年の管制の改革で従来の庄屋、名主を廃し、各地域に戸長、副戸長が置かれた。この年の4月、戸長はじめ副戸長が山中邸に集まった。当主 山中伝四郎は三右衛門の実兄にあたり、先代 三右衛門の世話で、川原町の山中家に養子として来ていた。山中家は、尼子十勇士の筆頭、山中鹿之助の血を受けた名門である。

2015年11月17日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

「お忙しいところをご苦労様です。実は前々から話のありました波止場修築の件について、是非皆さんにご相談願いたいと存じまして。」

明治36年の開栄橋 橋を渡った先 左に回船問屋 稲葉三右衛門宅があったはずであります

戸長 関井文之進がおもむろに口を開いた。集まった面々は、中町の荷主 村田七衛門、川原町の山中伝四郎、中納屋の稲葉三右衛門、田中武兵衛、荷主の森寺源之助ら副戸長の5人である。

「・・・ご承知のように、稲葉三右衛門、田中武右衛門のお二人から、波止場修築願書に戸長の諒解が要るという事でお集まりいただいたのですが、県庁の岩村参事は反対、鳥山副参事は賛成という意見の違いが出ております。」

参事 岩村定高の背後には船会社の黒川彦右衛門らがいる。彼らは、三右衛門が波止場を築いて埠頭を独占し、港を私物扱いにされては困ると考えていた。

それなら、と田中武兵衛は「船会社の人たちも仲間に入って、波止場の修築に一肌脱いでもらえば結構だし、場合によってはあの人たちにやって貰っても、別に依存はない訳ですが。」

三右衛門も「船主の人たちは、ご維新後の今日でも、昔のお伝馬気分が抜けず、公儀御用の名の下で駅伝事務を取り扱ってきたように、今でも御上の力を頼りにしています。」

3:日本初の鉄道の開通 ~ 芝(田町) | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産 (smtrc.jp)   より

伝四郎が云う「政府は海上の外に、陸上にも汽車を走らせる計画で、すでに東京横浜間には今年の秋までに鉄道が開通するし、又通信の方は、全国に郵便制度を布いて西洋と同じく政府の力で、手紙や小包の配達をやるそうですが・・・」

そのためには港の改築は必要であったが、最後に井関は「どうです稲葉さん、ひとつあんたの力で、農民、漁民、和船組、洋船組へ説得していただきませんか?」という事で、晩餐の席となった。※ 話し合いは 今も昔も 変わらない・・・と思います

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