花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昌栄新田の海水浴場

2021年07月04日 | レモン色の町

旧四日市港の南の昌栄新田もまた、古くから海水浴場として賑わっていたようだ。水谷宣夫様からお借りした“四日市志 名所案内付”明治40年5月発行(南町 伊藤善太郎氏著)

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明治40年 昌栄新田の砂浜は埋立予定地である 掖済会前は砂地が広がっていたのがわかる 午起は加藤新田で海水浴場となる以前のようです

昌栄新田・・・もと、新田のありし所なれば、今は、遠浅の海辺なれども、なお、旧名を襲用して、昌栄新田とはいうなり。朝日の洲、遠く海中に突き出して一大湾をなし、内に、汽船、帆船の林立するあり。また遥かに真帆片帆の海上を往来するありて、その風光の美なる、到底筆舌に尽くしがたし。されば、潮干狩り、海水浴、観月等には最も格好の地にして、毎年期に至るごとに、関西鉄道は特に列車を発して、名古屋よりの来遊者を迎ふるなり。

十里の渡し(旧四日市港)付近(水谷百碩 画)

昌栄新田

因みに、垂坂山も掲載されている。

垂坂山の眺望・・・三重郡羽津村の西境にあり。停車場凡そ一里を距(へだ)つ。内海の光景一眸(いちぼう)の中に集まり、眺望甚だ佳なり。春秋二期には、此所に一日の清遊を試むもの多し。

追記:前回 椙山満氏の文に、四日市湊に蜃気楼が見えたという記事を紹介いたしましたが、三重県総合博物館のサイトにその記事がありました。

三重県総合博物館 東海道 四日市(二代広重) (mie.lg.jp)


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4 コメント

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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-07-04 16:47:26
昌栄新田は埋め立てられて、現在の尾上町になったのですね。そして、掖済会の海水浴場、午起、霞ケ浦、富田浜とだんだん北上。
いまの四日市の方々はどこで海水浴されているのでしょう。
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海水浴場 (タケオです)
2021-07-05 09:47:29
学校のプール!
伊勢の御座あたりに行かないと、泳ぐところはないでしょうか?伊勢湾から出ないと・・・
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-07-05 11:00:54
プーッ! プールだけですか。
四日市では、海水浴はいまや死語、、、、、。
昭和は遠くなりにけりか。😢😢😢
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プッ、プール (タケオです)
2021-07-05 12:31:05
中学校を卒業してすぐに、友達と連れ立って、夜、中学校のプールへ泳ぎに行きました。宿直の先生が見回りに来たので、慌てて逃げてきた記憶があります。悪い病気を撒いていくといけないからということでした。「悪い病気ってなんやろな?」「おまえ、持っとるか?」と話して帰りました。
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