昭和46年
この先が近鉄四日市駅で、高架化工事中を南から駅方向にとられた写真であります。右に“太陽生命”の建物がみえますが、現在は、駅の西側に移転しています。それにしてもたくさんの車が駐車されています。
昭和43年のゼンリンマップ
本日午後12時15分 高架下は近畿日本鉄道の事務所棟となっています。昼休みに社員の方が出てきました
毎年三月になると、地方都市の駅頭は、中学校を卒業したばかりの少年少女と、見送りの親や友達でごった返す光景が見られた。
“写真でみる日本生活図引”より“集団就職”
三月は、大都市とその周辺の町へ就職する少年少女が、集団で就職する日で、専用の就職列車が入ってくると、今度はホームが大勢の人で埋まった。就職先は、商店、食堂、紡績工場などだった。四日市も集団就職を受ける側でした。紡績工場などへ九州や南紀から、たくさんの少年少女が就職に来ました。
①客車の窓に“JTB 鹿児島県就職団”の張り紙がある
②列車が動き出したのか、手を振る
③ハンカチで涙を拭う
④ハンカチを手に振る
⑤友人、先生、母親らの見送り人
車窓の子供たちを見ると、胸が詰まりますね。つらいことや 悲しい思いを乗り越えて、みんな大人になっていきました。
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