花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

失われた海水浴場①

2023年08月09日 | レモン色の町

四日市市史の第4節に“恐慌・戦時期の生活と文化”の題で、四日市の海水浴場のことが紹介されていました。

午起海水浴場 昭和6年 遠くに見えるのが保養所、その向こうが三滝川河口

大正時代から昭和の初期にかけてというと、関東大震災が起こり世界恐慌の荒波が押し寄せる時代でしたが、市民にとっては大正ロマンのホノボノとした時代で、お祭り、映画、演劇などは言うに及ばず夏の海水浴は最も手ごろな娯楽として人気がありました。四日市の海水浴場は北から、須賀浦・富田浜・霞ケ浦・午起が整備されていて、多くの人で賑わいました。富田浜海水浴場周辺は、別荘地にもなっていて県外の資産家たちが大挙して遊びに来ていました。

掖済会 

稲葉町旧港北の海員掖済会前にも明治期から海水浴場がありました。また、大正12年に開場された午起海岸は、遠浅でしたが深みがあり、子供には要注意でしたが町から近場だったので人気がありました。

午起駅跡地

昭和6年以降、国鉄関西線に夏季限定の午起駅が開設され多くの人で賑わったのです。