花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

垂坂山古戦場のこと③

2022年03月08日 | レモン色の町

1336年、湊川の戦いで楠木正成に勝利を収めた足利尊氏は、1338年、征夷大将軍となり室町幕府を開くが、その後、弟の直義(ただよし)と執事の高師直(こうのもろなお)との確執などで殺し合い状態となった(観応の擾乱)。このあたりは、次のサイトにお任せします。“感応の攪乱”とお間違えの無い様。

面白いほどわかる観応の擾乱!簡単にわかりやすく徹底解説【年表付きでまとめました】 | まなれきドットコム (manareki.com)

当時は、自分の利益を確保するのに必死の様相。上層部のもめごとは、そのまま地方へも波及して、天下は混乱状態となりました。各地では、相続争いが戦にまで発展する有様でした。

明徳3年(1393)、南北朝が和解して一旦治まりますが、三重県北勢の地は、南北朝以来の土豪四十八家が割拠して、勢力争いを繰り広げていました。

四日市にもこれだけの土豪が散在していたのです。

浜田城(田原元綱)・赤堀城(田原景治)・富田城・茂福城・大矢知城・蒔田城・萱生城・伊坂城・広永城・下野山城・中野城・市場城・保々西城・羽津城・阿倉川城・西坂部城・中河原城・曽井城・平尾城・佐倉城・出城山城・川尻城・小古曽城・釆女城・山田城・小山田城・城の山城・水沢城

数十軒でひとつの村をつくり、砦を築いて自分達の土地を守っていた様子が見えてくるようです。

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