昭和キネマの集いスペシャル“砂の器”。今回は市の商店街活性化イベント事業として上映させていただきました。
上映開始が午後5時ということで、集まっていただく時間に不安はありましたが、本当に多くの方に参加いただき会場は満席となりました。ありがとうございました。
早速Tさんから感想が届きました。
「松本清張の小説の映画化には、同じく野村芳太郎監督による「張込み」(昭和33年)がありましたね。この映画の音楽担当は黛敏郎。黛と芥川也寸志は当時共に新進気鋭の作曲家で、互いによきライバルだったらしいです。
今回の「砂の器」(昭和49)では音楽総監督として芥川が担当していました。
さて犯人(加藤剛)は作曲家であり、ピアニストであるという設定で、彼が全身全霊を傾けて作ったのが「宿命」と名付けられたピアノコンチェルト・・・その初演で指揮とピアノ演奏の両方をこなし、見事大成功を納めるという筋書きになっているのですね。
このコンサートシーンには圧倒されました。大作です(菅野光亮 作曲)。加藤剛も名演奏?でした。
この長時間に及ぶコンサートシーンに重なる様にして、捜査担当刑事(丹波哲郎・森田健作)による状況説明と、犯人の子供時代の回想シーン(台詞なしでの体当たり演技が感動的!)が展開されていくという手法は、大変説得力があり素晴らしかったです。
病魔に魅入られた心優しい父(加藤嘉)と、そんな父をただ一人の肉親としていつも慕い、時には庇う幼い息子(子役は誰だったのでしょうか?)
「宿命」とは“生まれてきたこと と 生きていること”。清張は作品の中で言っていますが、人生経験の薄い私には本当のところが理解できなかったようです。
原作を読んでいないのに批評するのは生意気かとも思いますが、少々不満と疑問を持ちました。
1.犯人が一気に殺人に至ったより詳しい説明が欲しかった。
2.惚れた男には身も心も捧げ尽くす女・・・ホステス(島田陽子)思慮に欠けぬ行動と、少し走っただけで流産→大出血→死亡という荒っぽい展開にはついていけなかった。
3.ミスキャスティング?女は利用するだけのもの。出世欲の塊で、しかも殺人犯という悪役を加藤剛にやらせてのは?TVの善人代表“大岡越前”が邪魔をしました。(でもそれがあえての演出か?)
清張作品には、いつも汗だくになって仕事をする刑事や人情味溢れる駐在さんが描かれていますね。美しい懐かしい風景の数々と合わせて大きな感動をありがとうございました。これを機に、小説を読んでみようと思っています。」
Tさん、感想をありがとうございました。ハンセン病を患った本浦千代吉と放浪の旅に出た息子秀夫は、春日和秀とういう少年が演じていました。
それから殺人に至る強引な設定は、私も疑問を感じていました。映画の力点は、殺人や捜査ではなく、むしろハンセン病に対する差別を描きたかったのではと思わせるほどです。
上映の再お断りしましたが「映像と音響がもっと素晴らしかったらなあ」と思った次第です。無料上映に免じてご勘弁いただきました。