花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

“二十四の瞳”上映2

2013年01月27日 | 諏訪商店街振興組合のこと

毎回感想をいただいているTさんから、今回も届きました。

「随分前に、TVで一度この映画を観ていますが、詳細は覚えておらず、今回はノーカット2時間半をしっかり見せていただき、ありがとうございました。還暦を過ぎた現在になって解ることも多くあり、感動しました。

水谷氏の解説で、生徒役には全国から兄弟姉妹をセットで募り、お天気のご機嫌にまかせて、1年かけた撮影だと知り、驚愕!

麦畑、菜の花畑、桜の広場、牛馬に曳かせた醤油(?)樽の行列、小さな分校の建物等々、ノスタルジックで素晴らしい舞台でした。

また挿入歌(プログラムに15もの曲名を紹介くださり、感謝!)がBGMとして絶大な効果をあげていました。[先の曲以外にも「金毘羅ふねふね」「ひらいた ひらいた」「ちんちん千鳥」そして軍歌までも]

単に小さな島の分校の教師と生徒の情愛物語に留まらず、昭和3年(世界恐慌)から敗戦直後までの世の移り変わりとその時代に翻弄され続ける庶民の生活の酷しさ哀しさの不条理を大石先生の身辺の出来事を通して、静かに強く訴えている作品だったと思います。

53歳で銀幕を去った高峰秀子が、その後TV番組で、立派に成人して久しい生徒役だった面々と、映画さながらの涙の再開シーンを繰り広げていた事を思いだしました。一人の女教師にできることは限りがあったでしょうが“教え子”の一人一人を大切に思い、相手の身になって共に泣き、いつも寄り添っていた大石先生。

今、折しも、退職金の支給額を巡って卒業式を待たず、早期退職をする教師の続出がニュースになっていますが・・・・・・でも、現代でも大石先生の様な先生はきっといらっしゃると思います」

感想、ありがとうございました。子役で出演の皆さんは、その後「瞳の会」をつくり同窓会を開いており、木下監督の葬儀にも駆けつけたそうです。現在、小豆島の田浦には「二十四の瞳映画村」がつくられており、昭和62年、朝間義隆監督が田中裕子を起用して撮影したセットがそのまま残されています。桜と菜の花が満開のころに、是非、出かけてみたいものです。

Dさんからもファクスをいただきました。

「約50年余ぶりにこの映画を観る機会を得て、当時小学生であった訳で、ストーリーもろくに覚えておらず、やっと、こういう映画だったのか、今、改めて木下映画を見直しました。あの時代、こんな大作に取り組んだ木下監督の情熱にただ感動です。それにしても高峰秀子はきれいです。子役もそれぞれが良いところが出ており、今の映画監督は、この作品からもっと学んでほしい。いや~50年ぶりにこの作品が観られるとは、当時を思い出し、甘酸っぱい気分になりました。「昭和キネマの集い」に感謝。今後とも。いつまでも続けてほしい。お手伝いします」

ありがとうございました。素晴らしい映画を、皆さんと共に涙しながら上映できたことを、感謝します。

コメント
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