花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

今井正監督「青い山脈」

2012年08月11日 | 諏訪商店街振興組合のこと
青森県立弘前高等女学院の教員を経験した石坂洋次郎は、昭和22年朝日新聞に「青い山脈」を連載しました。東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた青春小説です。
そして昭和24年、今井 正監督は正続二編に分けて「青い山脈」を映画化しました。正編7月19日公開、一週間後の7月26日続編を公開しています。
当時 東宝と松竹が映画化権を争い、結局権利は東宝が獲得しました。この時松竹の監督候補は木下恵介だったそうです。まぼろしとなった木下恵介監督の「青い山脈」は出来ていたらどんなだったでしょうか。
     
     
     
舞台は、空襲の惨禍を受けることのなかった港町。ここの女学校へ島崎雪子(原節子)は教師として東京から赴任してきます。
騒動の発端は、生徒である寺沢新子(杉 葉子)が金谷六助(池部 良)と知り合いになり、このことを知った同級生が学校の権威を傷つけたとして学校に告発します。戦争も終わり新しい民主化運動が起き始めた時代、古い因習の残る町で自由恋愛をめぐって対立が起こることとなるのです。
     
     
     
 教頭、体育教師、地元の権力者である会長に対抗して、島崎雪子、沼田玉雄(校医)扮する龍一郎、芸者梅太郎(小暮実千代)は、男女交際の自由を主張します。
     
 結末は石坂洋次郎の青春小説らしくハッピーエンドとなりますし、抗争の経過もユーモアも交え明るく爽やかに描かれています。同級生が書いた偽ラブレターに「恋(戀)しい、恋しい」を「変(變)しい、変しい」と間違えて書いた件はあまりにも有名です。
 昭和24年ころは、男女が手をつないで歩くことすら憚られる時代でした。終戦の傷跡が残る暗くなりがちな時代に公開された「青い山脈」は大ヒットとなり、その後、何度も再映画化されています。藤山一郎による歌も国民的歌謡となって歌い継がれてきました。
若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ

8月17日(金)午後6時30分より スワセントラルパーキング2階会議室で上映です。入場無料、是非お越しください。
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