一昨日、臘梅や紅梅を撮りに行った。
マンサクも咲き始めていた。
上の写真のように、満開とは言えなかったが、金色の花が輝いていた。
帰ろうとしていたところで、老人に呼びとめられた。
「臘梅が咲いていますか?」 そんな話から、その老人との話になった。
○○に住んでいるHという者ですが、と名乗った上で、
「昔なら、20分程度で来られたのに、1時間使ってやっと歩いて来ましたよ」
健脚が自慢らしい。○○は4キロ先の駅名だった。今の私なら歩かない。
「脚がお丈夫なのですね。私とあまり変わらない年齢と思いますが……」
「大正9年生まれで、90歳です。」
「大変に失礼しました。私より大先輩です。戦争の時はご苦労なさったでしょうね」
このような先輩には、私は、戦争時代の話を聞きたくなってしまうのだ。
「終戦のころ、陸軍の兵隊で、満州にいました」
「シベリアに連れて行かれなかったのですか?」
「だから、民間の邦人の中に紛れ込んで、逃げてきたンです」
終戦の間際、満州から一番早く逃げたのは軍隊だったと、私は聞いていた。そのあたりの事情を聞こうとしたが、それには一切答えてはもらえなかった。
「兵隊とバレないように、頭を伸び放題にしていたんですよ。復員届けは、引き揚げ船の中で作りました」
「引き揚げ船は、どこの港でしたか?」
「博多でした。陸地にあがった時、ほっとしましたねえ」
90歳の大先輩は、その後の生活についても、こもごも話してくれた。
岩手にいたこと、神田にいたこと、蒲田にいたこと等々……。
「カメラはほとんど息子に渡してしまいました。今はこの一つだけです」
見せてもらったのは、N社製の銀塩カメラ。レンズは28~70ミリ(F2.8)であった。
どうやら腕自慢の様子でもあった。
まだまだ話足りない模様だったが、いつまでも立ち話もできない。
30分以上にわたる熱弁を伺い、なんとか別れることができた。
言葉も明瞭で、90歳翁とは思えない人だった。
ここのところ、日程が窮屈となっており、コメントが遅れております。
また、ご訪問も遅れておりますが、どうかお許し下さいませ。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
→ こちら