新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

大先輩の話

2010年01月22日 07時07分11秒 | 身辺雑記

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 一昨日、臘梅や紅梅を撮りに行った。

 マンサクも咲き始めていた。

 上の写真のように、満開とは言えなかったが、金色の花が輝いていた。

 帰ろうとしていたところで、老人に呼びとめられた。

「臘梅が咲いていますか?」 そんな話から、その老人との話になった。

 ○○に住んでいるHという者ですが、と名乗った上で、

「昔なら、20分程度で来られたのに、1時間使ってやっと歩いて来ましたよ」 

 健脚が自慢らしい。○○は4キロ先の駅名だった。今の私なら歩かない。

「脚がお丈夫なのですね。私とあまり変わらない年齢と思いますが……」

「大正9年生まれで、90歳です。」

「大変に失礼しました。私より大先輩です。戦争の時はご苦労なさったでしょうね」

 このような先輩には、私は、戦争時代の話を聞きたくなってしまうのだ。

「終戦のころ、陸軍の兵隊で、満州にいました」

「シベリアに連れて行かれなかったのですか?」

「だから、民間の邦人の中に紛れ込んで、逃げてきたンです」

 終戦の間際、満州から一番早く逃げたのは軍隊だったと、私は聞いていた。そのあたりの事情を聞こうとしたが、それには一切答えてはもらえなかった。

「兵隊とバレないように、頭を伸び放題にしていたんですよ。復員届けは、引き揚げ船の中で作りました」

「引き揚げ船は、どこの港でしたか?」

「博多でした。陸地にあがった時、ほっとしましたねえ」

 90歳の大先輩は、その後の生活についても、こもごも話してくれた。

 岩手にいたこと、神田にいたこと、蒲田にいたこと等々……。

「カメラはほとんど息子に渡してしまいました。今はこの一つだけです」

 見せてもらったのは、N社製の銀塩カメラ。レンズは28~70ミリ(F2.8)であった。

 どうやら腕自慢の様子でもあった。

 まだまだ話足りない模様だったが、いつまでも立ち話もできない。

 30分以上にわたる熱弁を伺い、なんとか別れることができた。 

 言葉も明瞭で、90歳翁とは思えない人だった。

 ここのところ、日程が窮屈となっており、コメントが遅れております。

 また、ご訪問も遅れておりますが、どうかお許し下さいませ。

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

 

コメント (21)
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