新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

カラスの育児体験

2010年01月30日 07時27分03秒 | 身辺雑記

 昨日の俳句も、カラスに登場してもらった。

  寒鴉真っ正直に生きてをり   鵯 一平

 句が出なかったので、苦肉の一策だった。

 そこで考えた。

「やっぱり私は、カラスが好きらしいぞ」

 そうなんです、実はカラスが好きだったのでした。

 国民学校の生徒だったころ、つまり終戦になる前、私はカラスの子を育てたことがあった。

 定かではないが、10歳前後のころだったと思う。

 出張から戻ってきた父が、カラスの子をもらってきた。ヨチヨチ歩く程度のヒナだった。

 航空隊の隊員からもらったのだと言っていた。

 まだ野原や田んぼにアオガエルがいたのだから、初夏のころだった。

 そのときから私たち一家は、「カラスの子育て」を始めた。

 餌は、ミミズ、アオガエル、ドジョウ、フナ、ご飯ツブなど。雑食なので、育て易かった。

 家の中で飼ったのだから、たまったものではなかった。フンの問題だ。雑巾を持って、家中を走り廻った記憶がある。

 夏休み中は、そのようなことで終始した。いつか飛べるまでに成長した。

 記憶の幾つかを紹介したい。

 一つは、私が学校から帰るときのことだ。

 子カラスが屋根の上に乗って、私が帰ってくるのを待っていた。学校の裏門を出たころ、私の前に子カラスが現れるのだ。そんな記憶がある。見張っていたのだ。

 もう一つの記憶。

 その子カラスが屋根の上に乗っていると、沢山のカラスが上空を旋回し、カアカアと騒ぎ立てたことも覚えている。気味が悪かった。

 そのようなこともあり、近所に迷惑がかかるので、間もなく手放すことになった。

 もらってくれたのは、友人だった。その友人とは、さほど親しい間柄ではなかった。

 その後のカラスの消息は覚えていない。

 カラスは賢い。人間にもよく懐いてくれる。やはり可愛い鳥類なのだ。

 今の世の中で、かなり悪役を演じさせられている。

 彼らだって、生きるか死ぬかの瀬戸際だから仕方がない。

 しかしこれも、人間側に多くの落ち度があるからなのではなかろうか。

 カラスに罪はないように思う。

 窓の外で、今、一羽のカラスが啼いている。

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

   → こちら

 

 

 

コメント (20)
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