昨日の俳句も、カラスに登場してもらった。
寒鴉真っ正直に生きてをり 鵯 一平
句が出なかったので、苦肉の一策だった。
そこで考えた。
「やっぱり私は、カラスが好きらしいぞ」
そうなんです、実はカラスが好きだったのでした。
国民学校の生徒だったころ、つまり終戦になる前、私はカラスの子を育てたことがあった。
定かではないが、10歳前後のころだったと思う。
出張から戻ってきた父が、カラスの子をもらってきた。ヨチヨチ歩く程度のヒナだった。
航空隊の隊員からもらったのだと言っていた。
まだ野原や田んぼにアオガエルがいたのだから、初夏のころだった。
そのときから私たち一家は、「カラスの子育て」を始めた。
餌は、ミミズ、アオガエル、ドジョウ、フナ、ご飯ツブなど。雑食なので、育て易かった。
家の中で飼ったのだから、たまったものではなかった。フンの問題だ。雑巾を持って、家中を走り廻った記憶がある。
夏休み中は、そのようなことで終始した。いつか飛べるまでに成長した。
記憶の幾つかを紹介したい。
一つは、私が学校から帰るときのことだ。
子カラスが屋根の上に乗って、私が帰ってくるのを待っていた。学校の裏門を出たころ、私の前に子カラスが現れるのだ。そんな記憶がある。見張っていたのだ。
もう一つの記憶。
その子カラスが屋根の上に乗っていると、沢山のカラスが上空を旋回し、カアカアと騒ぎ立てたことも覚えている。気味が悪かった。
そのようなこともあり、近所に迷惑がかかるので、間もなく手放すことになった。
もらってくれたのは、友人だった。その友人とは、さほど親しい間柄ではなかった。
その後のカラスの消息は覚えていない。
カラスは賢い。人間にもよく懐いてくれる。やはり可愛い鳥類なのだ。
今の世の中で、かなり悪役を演じさせられている。
彼らだって、生きるか死ぬかの瀬戸際だから仕方がない。
しかしこれも、人間側に多くの落ち度があるからなのではなかろうか。
カラスに罪はないように思う。
窓の外で、今、一羽のカラスが啼いている。
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