民主党首脳の二人が、「政治と金」の問題で話題となっている。
政権交代を選んだ国民としては、とてもやりきれない気分だ。
「総理はかねてから、秘書の責任は議員の責任だと言っていたが、ご自分も責任をとるのか?」
記者会見でこのような質問が出た。当然の質問だった。
その質問に対する答えがふるっている。
「秘書の責任は議員の責任と言ったのは、私服を肥やした場合の話。今回における鳩山事務所の件は、私服を肥やしたわけではないので、私は責任をとらない」
言葉の言い回しは少し違うかもしれないが、大雑把に言えば、そのような答えだった。
この回答には、開いた口が塞がらない。
私服を肥やす話ではなかったにしても、次のような構図だったのではないのか。
鳩山由紀夫氏は、政治活動をするために、母親の安子さんから11億円とも12億円とも言われる巨額なお金をもらった。これは厳粛な事実だった。
由紀夫氏が母親に頼んだかどうかは問題の外。いずれにしても、多額のお金が安子さんから由紀夫氏に渡った。
(初めのころは、「借りたお金だ」と言っていたが、借用書もなく、立証できなかったようだ)
つまり、安子さんから由紀夫氏へ贈与されたわけだ。
ところが鳩山由紀夫氏は、贈与税を払っていなかった。
逃れられなくなったので、その後になって、6億円を支払ったとか。
バレなければ納税しなかったはず。そのように思うのが国民の常識だ。
国民の重大な納税義務を、由紀夫氏は怠っていた。
すこし勘ぐって言えば、税金を逃れるために、個人からの献金と偽装したのではなかったのか。(運が悪かったことには、個人の中に故人も入っていた)
いずれにしても、「知らなかった」で済ますことができるなら、今後はこのようなケースが頻発するに違いない。
もともと個人献金には、額の上で厳しい制限があったはず。
モラルを大きく崩した行為だ。
「知っていた」とか「知らなかった」では言い訳にならない。
知らなかったと言って逃れることができるなら、相続税を支払うために田地田畑を売却している人たちが浮かばれない。
そのお金の使い道についても、「秘書に任せていたので知らなかった」と言っている。
「秘書の責任は政治家の責任」というのは、このような時に使う言葉ではなかろうか。
「金をもらっていたことも、そのお金がどのように使われていたかも知らなかった」
このような話、公然と罷り通ることを許していいはずがない。
その程度の金銭感覚の人に、国の運営を決めさせることは恐ろしい。
旧政権はとても情けなかった。だから国民は政権交代を選んだ。
民主党が勝ち取ったのではなく、国民が選択したのだ。
その国民に対し、明確に説明をしてほしい。
まだまだ「説明責任」が果たされたとは思っていない。
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