中学生のころから、私は太宰治が好きだった。
破滅型の生き方にも、魅力を感じていた。もちろん、情死に共鳴していたわけではない。
あの明るい文体も好きだった。
「あの明るさは作られたものであり、むしろ不健康だ」と評する人がいるかもしれない。
しかし、これは好きずきの話だ。
昭和14年に発表された「女生徒」は、好きな作品の一つであった。
次のような書き出しとなっていた。
『あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。かくれんぼのとき、押し入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、………』
このような文章の運びとなっている。
女生徒の側に立った表現であり、やや冗漫でとりとめもない。
このような表現にこそ、太宰治のサービス精神が、よく発揮されていると思われる。
眠りに陥る気持ちを述べている最後では、次のように書いてある。
『 眠りに落ちるときの気持ちって、へんなものだ。鮒か、うなぎか、ぐいぐい釣り糸をひっぱるように、なんだか重い、鉛みたいな力が、糸でもって私の頭を、ぐっとひいて、私がとろとろ眠りかけると、またちょっと糸をゆるめる。
・・・(中略)・・・
おやすみなさい。私は王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびおめにかかりません。』
つまり、このような終わり方をしている。
異常なまでに……と言えばそれまでだが、「女生徒」になりきっての独白文であり、彼のサービス精神に基づいた文章へのこだわりに、私は大いに惹かれているのだ。
とても明るい「女生徒」は、私の好きな一編である。
そんな彼が情死を遂げた。人間は計り難い。
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