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「中世武士は社会の混乱ではなく、体制の安定を望んでいた」という

2014-06-04 10:32:29 | 読書ノート
呉座勇一『戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか』新潮選書, 新潮社, 2014.

  元寇の時期から応仁の乱までの武士を扱った歴史書。戦後支配的だった「階級闘争史観」──「武士にとって乱世は立身出世のチャンスであり望ましく、彼らもそう考えていたはずだ」──という色眼鏡をはずして、武士はむしろ「持てる者」として体制の存続を望んでいた、というスタンスから、各種の事件や軍事行動の再解釈を試みている。

  本書で示される武士像は以下のようなものである。大将クラスの武将は遠方の敵を撃つために軍事動員をかけるのだが、従軍する下級武士にとっては、近隣の武士によって所領を奪われたり、財産を失ったり、自分の命の喪失やそれに伴う家族の没落などの可能性があり、従軍のリスクは高かった。したがって遠征参加は嫌々であり、自前で準備した武具や食料が尽きると戦線離脱することも頻繁だった。戦闘参加の動機として重要なのは、活躍して将来の領地を獲得することではなく、今ある所領の安定であり、その保障を確固とするために幕府や武将に従っているだけである(彼らの信頼を失って領主であることを否定されるのも困るので)。そのようなわけで、幕府でも関東管領でもとにかく超越的な軍事力が強く安定していたほうが武士にとっては望ましい。しかし、応仁の乱は完全にそうした秩序を破壊してしまったという評価となっている。

  以上のような観点を交えつつ、足利尊氏ほか歴史的人物らの軍事行動の成功や失敗の説明をしており(ただし、武将の才覚についても言及があり動員力一辺倒の分析というわけでもない)、なかなか説得力がある。特に南北朝時代は誰と誰がどういう理由で戦っていたのかよくわからない時期だという個人的な印象があったが、本書は関係人物の動機を読み解いて上手く整理している。また、通説では「元寇以降、鎌倉幕府は不安定になって滅亡した」とされるが、実のところ鎌倉時代後期に大きな社会的動揺は観察できず、むしろ楠木正成軍に幕府軍が敗退してはじめて武士たちは社会の転換を意識したのではないかとも記している。全体としては「階級闘争史観」批判がちとしつこいのが小さな瑕疵である。

  鎌倉末期から南北朝期の武将は、圧倒的な軍事的能力を持つ者が少なく、人間的魅力も乏しく感じられ、そのせいかあまり歴史ファンの興味を引くことのない時代だろう。「小悪党の時代」というのがそのイメージなのではないだろうか。本書は、彼らは権力の亡者というわけではなく、それなりに精一杯サバイバルしていたのだということを伝えており、この時代の見方を変えてくれる。
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