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学校図書館をめぐる議論の見取り図として

2019-08-21 16:30:51 | 読書ノート
根本彰『教育改革のための学校図書館』東京大学出版会, 2019.

  日本の学校図書館の制度上の歴史と現状、海外事情など。中身は2000年代から最近にかけての著者の論文をまとめたものである。ただし、A5サイズで300頁、かつフォントが小さいので、かなりの分量に感じる。「学校図書館」というと誰もがかつて経験した小さな図書室を思い浮かべるだろう。放課後に訪れて好きな本(そこに所蔵されている範囲内だが)を読めるが、授業時間中には訪れない(もしかしたらごくまれに授業で使うことがあるかもしれない)。僕の場合、高校を除く小中学校でそこを管理する人が張り付いていたかは記憶がない。学校図書館というコンセプトはそういう「課外で使う読書施設」という現状に留まるべきではないことを、本書は示してゆく。

  著者によれば、そもそもGHQの占領下で学校図書館というコンセプトが移入された理由は、ジョン・デューイが唱える経験主義的な教育を目指したからであり、現在でいう課題解決型の学習スタイルを進めるためだった。しかし「先生が正統な知識を一方的に児童・生徒に教え込む」という系統主義が、その後の日本の教育の主流となったために、この試みは頓挫する。また、米国では専任の学校司書(school librarian)が学校図書館を管理しかつ情報利用教育を指導するのが基本であり、教科の教師を兼任する司書教諭(teacher librarian)は学校司書を置けないような小規模な学校に対しての例外的な資格である。にもかかわらず、日本では資格として後者が先に輸入されて、形だけ定着した。結果、学校図書館は授業では使われない設備として扱われてきた。

  しかしながら、課題解決型学習の必要性は日本でも1980年代から徐々に認知されるようになっており、文科省の教育方針にも取り入れられてきてい。総合学習やアクティブ・ラーニングの推進にそれが現れているという。これに関連して、国内の図書館を使った課題解決型学習の例や、フランスや米国の学校図書館が参考にされる。ただし、東アジアの読書に対する考え方が課題解決型学習の先行者である欧米と異なることや、入試問題のスタイルに教育カリキュラムが従属しがちなことが難点として挙げられている。とはいえ、そうした課題解決型学習が現在の日本で必要となっており、学校図書館と学校司書がそうした学習をサポートすることになるはずだという主張は一貫している。

  以上。学校図書館と課題解決型学習に関連があることは気づかれていたことだろう。本書は、両者の関係について理論的に掘り下げ、その観点から日本の学校図書館制度にどのような問題があるのかを明らかにした著作である。政策的にはかつてよりは重要視されつつあるのに、学校図書館に対する世間の期待感は高まっていない。こうした中で、どう学校図書館を教育に組み込んでいくかの理論的な見通しを本書は与えてくれるものである。図書館関係者のみならず、教育関係者にも参考となると思う。個人的には、直前に読んだ我が学部長の著作と真逆のスタンスで面白かった。最終的には、既存のカリキュラムの時間を削って図書館利用に充てることをめぐる論争に収斂してゆくのだろう。
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