自称女性の男性が女子競技参加は絶対に駄目 自称男性の女性が女子サッカー参加はOK

自称女性の男性が女子競技参加は絶対に駄目 自称男性の女性が女子サッカー参加はOK

 自称女性と自称男性のトランスジェンダーが徒競走、水泳、自転車などの競争をしてもらいたい。そして、どちらが早いかを比べてほしい。普通の男性と女性では男性の方が早い。トランスジェンダーの男女でも男性が早くなければ男性であると言い切るのは難しいだろう。女性より遅い男性が男性を自称するのは・・・「本当に男性?」と疑われるだろう。
自称男性、女性が一緒に競争をしたという話は聞いたことがない。やったことがないからだろう。
 
 自称女性のトランスジェンダーが女性のスポーツ大会に参加している。そして、優勝もしている。ところが自称男性のトランスジェンダーが男性のスポーツに参加したことはない。医学的に女性であるから男性には太刀打ちできないと知っているから男性のスポーツ大会に出場しないのである。トランスジェンダーの医学的男性は女子スポーツに出場して優勝し、医学的女性は男性のスポーツ大会に出場しないのである。
 自称男性のサッカー選手は男性チームではなく女性チームに参加している。女子サッカー元日本代表選手・横山久美氏である。横山氏は性自認が男性のトランスジェンダーであることを公表した。男性であることを公表した後も女子サッカーを続け、現在は女子サッカーなでしこリーグ⒉部・岡山湯郷Belleに電撃移籍し、キャプテンとしてチームを率いている。横山は2021年11月にアメリカで結婚し入籍をした。妻の名前はなみである。
 トランスジェンダー男性であると公表し、結婚もした横山氏であるが女性サッカーチームに所属している。理由は医学的に女性であり、横山氏のサッカーの実力では男性には通用しないからである。だから、女子サッカーに参加している。
 医学的に女子であるから女子サッカーをするのは当然のことである。横山氏が女子サッカーをするのに問題はない。問題があるのは、医学的には男性であるトランジェンダーが自称女子を名乗って男性の肉体のまま女子の競技に参加することである。男性を女子の競技に参加させてはならない。
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今度は自称ノンバイナリーの男性が女子1500メートルで優勝

今度は自称ノンバイナリーの男性が女子1500メートルで優勝

トランスジェンダーについて述べる時に「出生時に充てられた性別と“逆”の性で生きる人のこと」と『出生時に充てられた性別』と強調する。決し『医学的に決まった性』とは言わない。医学的に男性と書けば読む人は男性をイメージする「自称女性」をイメージする時に男性が女性を装っているように想像する読者は多いだろう。そのようにイメージさせないために「出生時に充てられた性別」とまるで非科学的な政治判断で割り当てられたように表見するのである。このような捻じ曲げた表現は沖縄では何度も見てきた。
例えば辺野古問題で、辺野古の海を埋め立てて米軍飛行場を建設するのは普天間飛行場を移設するためであるが、辺野古移設反対派は移設飛行場とは言わない。「新基地」という。普天間飛行場の移設だとイメージさせないためだ。それに飛行場ではなく「基地」と言う。辺野古に新しい米軍基地を建設するというイメージを持たすためである。本当のことを捻じ曲げるために使用する言葉を変えるのは左翼の得意である。「出生時に充てられた性別」は左翼の得意とする真実の捻じ曲げである。

 ノンバイナリー系トランスジェンダーを公表するニッキー・ヒルツ(28歳)選手は7月8日(現地時間)、アメリカのオレゴン州で行われた全米陸上競技選手権大会に参加し、女子1500メートルレースで優勝した。
出生時の性別に違和感をもつが、男の性でもないし女の性でもないという二軸で性に属しない人間をノンバイナリーという。ニッキー選手は医学的には男性であるがノンバイナリーを自任しているのだ。
 医学域には男性であり、自称では男でも女でもないニッキー氏が女子の1500メートルレースに参加したのである。女子ではない選手が女子のレースに参加できたのか不思議である。
ニッキー選手は、今大会での優勝はトランスジェンダー・コミュニティにとっての“勝利”であると述べている。男性でありながら女子のレースに参加したトランスジェンダーの勝利であるのだ。


 ニッキー選手が優勝した瞬間の写真である。他の選手と足をを比べてほしい。女子選手の太ももは柔らかそうである。しかし、ニッキー選手の太ももは筋肉質である。これは男性と女性の筋肉の質の違いである。男性の筋肉を持つニッキー選手が優勝するのは当然である。
トランスジェンダーが女性競技に参加するのはトランスジェンダーによる女性差別であると考えるべきである。スポーツはLGBTの精神論よりも医学の判断をもっと尊重するべきである。
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