ゴーン問題で見えた日本より民主化が遅れているフランス



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ゴーン問題で見えた日本より民主化が遅れているフランス
日産自動車のカルロス・ゴーン会長が価証券報告書に過少に記載したとする金融商品取引法違反の疑いで逮捕されたが、その時に意外な事実を知った。日産と同盟関係のあるフランスのルノーの筆頭株主ががフランス政府であることだ。フランスでは政府が民間企業の株主になれる。航空大手エールフランス─KLMも20%近くの株を保有している。日本や米国は政府が民間の株を保有することを禁じている。民間企業の自由競争を阻害するからだ。しかし、フランスでは政府が株主になり企業の経営に対する発言権が強い。

日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者の逮捕に対して日本政府と仏政府の対応に違いがあった。安倍晋三首相とマクロン仏大統領がブエノスアイレスで会談した際、マクロン大統領が仏ルノーと日産、三菱自動車の3社連合の提携関係維持を要望したのに対し、安倍首相は要望を容認したと受け取られないよう「政府がコミット(関与)するものではない」と応じた。
パリでルメール仏経済・財務相と世耕弘成経済産業相が会談した時、ルメール氏が資本関係も含めて「現状維持が望ましいとの考えで一致した」と説明したが、これを世耕氏が否定して抗議の書簡を送った。
日本はフランスとは違い、政府が特定の企業経営に介入することはできない。日本は企業の自由競争を優先しているからだ。
日本の方が民主化はフランスより進んでいる事実を私は50年前の学生運動をしている時に知った。学生運動している時に、自分たちのやっている運動を家族に伝え、家族に理解してもらい、家族に支持してもらうようにするのを家族闘争と呼び、家族闘争の成功としてフランスの五月革命があった。「1971Mの死」に五月革命について書いてある。

「マタヨシは家族闘争をやったか」
と言った。唐突な話題の転換であった。Mが私のところにやって来た目的は「家族闘争」について話し合いたかったからだと私は知った。しかし、私にとって、「家族闘争」は時代遅れの話題でしかなかったから拍子抜けした。私は思わず、
「はあ」
と首を傾げた。

「家族闘争」というのは、家族に学生運動をやっていることを打ち明け、家族と話し合い、自分たちがやっている学生運動を家族に理解させ、家族に学生運動を応援させる運動のことであった。
一九六六年にフランスのストラスブール大学で民主化要求の学生運動が始まり、それが一九六八年にはソルボンヌ大学の学生の民主化運動へと発展し、その年の五月二十一日にはパリで学生と労働者がゼネストを行った。そして、労働者の団結権や学生による自治権、教育制度の民主化を大幅に拡大することに成功した。それをフランスの五月革命と呼んだ。フランスの五月革命は学生が原動力となった革命として世界中に有名になった。
大学の民主化を目指して闘ったフランスの学生たちは、自分たちの運動の意義を理解させるために家族と話し合った。学生の民主化運動を理解した家族は学生を応援し、家族を巻き込んだ民主化運動は次第に学生運動から大衆運動へと発展していった。
五月革命が成功した原因のひとつに学生たちが家族の説得に成功したことをあげ、それを家族闘争と呼び、学生運動のリーダーたちは私たちに家族闘争をやるように指示したのだった。
フランスの五月革命のように大学の自治や民主化を目指した運動であったなら、私は家族の理解を得るために喜んで話していただろう。しかし、琉球大学の学生運動は五月革命のような民主化運動とは性格が異なっていた。
琉球大学の学生運動はアメリカ軍事基地撤去、ベトナム戦争反対などを掲げていたが、反戦平和運動の域に止まるものではなかった。沖縄最大の大衆運動である祖国復帰運動を批判し、民主主義国家であるアメリカを帝国主義呼ばわりし、ソ連をスターリン官僚主義と批判して反帝国主義反スターリン主義を掲げた学生運動であった。本土の学生運動と系列化していった琉球大学の学生運動は急速に過激になっていった。ヘルメットを被ってジクザグデモをやり、ゲバ棒で機動隊と衝突したり、火炎瓶を投げたりした。
琉球大学の学生運動を、古い沖縄の因習を信じている私の親が理解し、納得し、応援するのは不可能であった。民主主義社会を目指した運動であったなら私は熱心に両親を説得していたはずである。しかし、民主主義国家アメリカを帝国主義呼ばわりし、将来のプロレタリア革命を目指している琉球大学の学生運動を家族に理解させるのは不可能であった。上からの指示であったが、私は「家族闘争」はやらないことに決めた。
それに、大統領や国会議員だけでなく州知事や地方の首長、議員までが市民の選挙で選ばれるアメリカや日本の民主主義国家で労働者階級が政治の実権を握るために暴力革命を起こすというのはむしろ社会が後退するのではないかという疑問が私にはあった。国民の代表である大統領や議員が国民の一部である労働者階級の暴力によって滅ぼされるのはおかしい。プロレタリア革命の後は国民の選挙が行われないとすれば民主主義国家での暴力革命は目指してはいけないのではないかと私は疑問に思っていた。民主主義とプロレタリア革命の狭間で私自身が悩める若者であったから家族闘争どころではなかった。
学生運動のリーダーたちは「親の理解を得ない限り、真の闘いとは言えない」と、フランスの五月革命を例にして、「家族闘争」することを指示したが、多くの学生は親の理解は得られないことを予想していたから、私と同じように「家族闘争」を避けていた。リーダーたちの指示を素直に受けて、「家族闘争」をやった殊勝な学生も居たが、彼らの多くは、親に説得されて学生運動から離れたり、親に勘当されたり、親子喧嘩になって家出をしたり、強引に休学をさせられて大学に来なくなったりした。
私は「家族闘争」をしないということで私なりに「家族闘争」を処理したのだが、私とMが「家族闘争」をやるように指示されたのは二年前のことであった。激しく変動する時代を生きている若者にとって二年前ははるか昔である。私にとって「家族闘争」は時代遅れの四字熟語であった。「マタヨシは家族闘争をやったか」という時代遅れのMの質問に、私はあきれて質問に答える気もなく、黙っていた。
         「1971Mの死」
日本の学生運動は民主化運動ではなく日米安保、資本主義を否定する革命運動であった。実は日本はフランスより大学の民主化は進んでいたから民主化運動はなかった。フランスより日本の方が民主化は進んでいたのである。
1789年にフランス革命が起こったからフランスの民主化は日本より発展していると思っていたがそうではないことを「家族闘争」の時に知った。あれから50年近くたったが、ゴーン会長の逮捕でフランスの民主化は日本より遅れていることを改めて知った。
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