波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

上田城の珍変遷(信州紀行その5)

2021-10-30 01:41:11 | お城

ハッピーハロウィン!白黒茶々です。

長々と綴っていったとの信州の旅日記は、今回で最後となります。 その最深部として私が選んだのは、上田駅真田幸村像が大ヒントで………

はい、上田城跡にございます 尼ヶ淵と呼ばれるこのあたりにはかつては千曲川の分流があって、お城の天然の堀となっていました。 そこから切り立った河岸段丘の上には、貴重な建築遺構の西櫓が聳え立っています。

さらに、その向かい側には南櫓 こちらは今日に至るまで紆余曲折があったのですけど、後ほど説明させていただきます。 そうしたら、今からそれらの建物がある本丸跡に向かいますよ 尼ヶ淵から城壁を伝っていったら………

私たちは二の丸の堀跡を歩いていました。 このあたりは皆さんもお察しの通り、お城の空堀の底であります。しかもそれだけではなく、こちらには昭和47年(1972年)まで上田温電北東線の電車が通っていたのですよ そこから(底から?)上がっていく階段があって、私たちは地上の二の丸跡に行き着きました。 さらにその西側には………

南櫓と北櫓を両脇に備えた東虎口櫓門が構えられています。 こちらのお城も、私にとっては29年ぶりなのですけど、その頃はまだ東虎口櫓門は復元されていませんでした。 そうしたら、上田城を代表する景観を眺めつつ、このお城の歴史に触れさせていただきます。
上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸によって築かれました。 その後、徳川軍による攻撃を2度も退け、難攻不落の城としてその名を轟かせました。 しかし関ヶ原の戦いの後、東軍に就いた真田信幸(のちの信之)は松代に転封。 西軍に味方した昌幸と信繁(のちの幸村)は高野山に蟄居となりました。 それだけではなく、城の堅固さを恐れたからでしょうか?それとも、城攻めの失敗の恨みからでしょうか?上田城は徳川の手によって徹底的に破壊されてしまいました。 なんか、大人げないですよね。

その後上田には仙石忠政が入り、寛永3年(1626年)からお城の修築工事に着手しました。 今日見られる上田城は、この時築かれたものです。 東虎口櫓門の脇には、「真田石」と呼ばれる直径3mほどの巨石があります。 この石は、真田信之が松代に持っていこうとしたのですけど、全く動かなかったと云われています。

本丸の西側から北側、東側にかけては高い土塁と深い水堀で守られています。 さらに、その東北隅は鬼門よけのために切り込まれています。

二の丸の北虎口は、石垣が築かれていて堅固です。

私たちは再び北櫓、東虎口櫓門、南櫓が連なる一角にやって来ました。 上田城は明治時代初期に廃城となり、建物は撤去されたり移設されたりして………

北櫓と南櫓は城下に移築されて遊郭として利用されていました。 それらは昭和17年(1942年)に買い戻され、城内のもとあった場所に再移築されました。 現在は有料(300円)ながらも展示施設として公開されているので、見学してきます

まずは南櫓から。 階段は安全のために緩やかなものに架け替えられているのですけど、柱や梁は昔のままでした。 それに、部屋の仕切りがないこともあって、かなり広く感じます。

その窓枠には、真田家の六文銭の家紋を意識したのでしょうか?現在の穴あきの貨幣が並べられていました。 誰がこのようなことをしたのですか?何もなかったら、私がやっていましたよ それはさておき、窓から外を覗いてみたら………

かなりの高さがありました。 やはり、高所恐怖症の方は閲覧に注意してくださいませ。 ………なんて言っていたら、駐車場に止めてきたウチの車が見つかりましたよ。

東虎口櫓門はまだ築27年なので、そこそこ新しいです。 それでも、木造で忠実に復元されているのはいいですね。 その一角に………

真田氏時代に使われていた鯱ほこが、再現されていました。 派手に化粧したような感じで、なんか愛嬌がありますね。

あと北櫓もセットになっているのですけど、こちらは規模も内部の様子も先ほど見てきた南櫓とほぼ同じでした。

真田幸村像は上田駅前にもあるのですけど、大河ドラマの「真田丸」が放送されたのにあやかったのでしょうか?本丸跡の真田神社の一角にも別バージョンの彼の銅像が設置されていました。 「真田丸」では堺雅人さんがその役を演じていたからでしょうか?なんとなく彼に似ています。
上田城をあとにした私たちは帰路に就き、内村街道(国道254号線)で峠越えをして、松本市内に入っていきました。 さらにその通り道といえなくもないところにある………

松本城に寄っていきました。 私はこちらのお城には何回か来たことがあるのですけど、ワンコを伴ったのは今回が初めてでした。

黒漆塗りの下見板張りの国宝天守群を見ると、士気が高まりますよ ただし今回はそれらには登らず、波と狛をモデルにして写真を撮るのが目的でした。

黒いお城と白いスピッツの対比は、なかなかいいですね 月見櫓の朱色の高欄が塗り直し中なのが、ちょっと惜しいのですけど。

お堀の外側から一連の建物をまとめて見られるのは、この位置です すべて国宝に指定されていて、左から乾小天守渡櫓大天守辰巳附櫓月見櫓であります。

西側に廻ったら、建物が黒光りしてきました。 松本城では毎年秋に黒漆の塗り直しがおこなわれていて、その黒い部分が終わったばかりみたいです。

最後に、赤い橋と波狛も一緒に入れてみました。 映える風景なのですけど、こちらの橋は現在は通行禁止となっています。
松本城でのミッションを終えた私たちは、松本IC(インターチェンジ)から長野自動車道に乗っていきました。 しかし、岡谷JCT(ジャンクション)あたりから大渋滞に巻き込まれ、「今日中に家に帰れないかも」という弱気の発言が出たりしました。 1時間半ほどしてようやく普通に走れるようになり、私はその先の駒ヶ岳SA(サービスエリア)で少し遅めの晩ご飯を食べることに。 このあたりの名物といえば………

やっぱりソースカツ丼ですよね 「ゆるキャン△」では大垣千明が伊那のローメンを、各務原なでしこは駒ヶ根のソースカツ丼を推していたのですけど、志摩リンは温泉とセットになっているミニソースカツ丼を食べたのですよね。 厚くてサクサクのカツに特性のソースが絡められていて、それらが御飯との間に敷き詰められたシャキシャキのキャベツと相まって、たいへん美味しうございました。
さらに私たちは飯田山本ICから一般道に降り、山道を走っていきました。

その途中にある道の駅信州平谷で、波と狛のほうの晩ご飯となりました。以前の狛は車に乗せると1時間ほどで吐いてしまったのですけど、今回は食後に山道を攻めていってもそのような気配は一切ありませんでした。 乗り物酔いを克服できたみたいでよかったです。
そして、23時半ぐらいに無事に帰宅しました。 なんとか日付けを跨がずに帰ることができました。

コロナの勢いが鎮静化しつつありますけど、まだ気が抜けない状態が続いています。 そのような状況の中で実行した今回の信州紀行。 なるべく人やワンコが集中しないようなところを選んだのですけど、思っていた以上に見応えがあって楽しく充実したものとなりました。 それに、一緒に非日常を体験することによって、波や狛との絆がより深まったようにも思えますし。 それから皆さま、長々と綴っていった旅日記に最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました。


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