波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

箔波日記10周年

2016-10-26 00:51:17 | その他
こんばんは、白黒茶々です。
今年の10月20日をもって「箔と波のつれづれ日記」を開設して、ちょうど10年となりました。 さらに、今日までほぼ1週間に2回のペースで更新していったら、今回が1117回目となりました。



そのブログに初登場した頃の箔は、このような姿をしていました。 今から10年前の、箔波日記が始まった平成18年(2006年)といえば………



イタリアのトリノで冬季オリンピックとパラリンピックが開催され、荒川静香さんが日本勢で唯一の金メダルを獲得しました。 その演技の中で彼女が魅せた「イナバウワー」は、その年の流行語大賞にもなりましたね。
8月に甲子園球場でおこなわれた高校野球の全国大会の決勝では、駒大苫小牧のマーくん田中と早稲田実のハンカチ王子(斎藤)が対決したのですけど、延長15回でも決着がつかず、引き分け再試合となりました。
プロ野球では、日本シリーズで中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズが対決し、ファイターズが44年ぶり2回目の日本一となりました。

政界では、9月に小泉政権から第一次安倍政権に交代。
テレビ番組では、NHK大河ドラマで仲間由紀恵さんと上川隆也さんが共演した「功名が辻」、天海祐希さんが異色の教師を演じた「女王の教室」が、それぞれヒットしました。

そのような時代背景の中で、箔日記(現在の箔波日記)は産声をあげたのですよ ………とはいっても、それはあくまでも文学的な表現で、決してパソコンから「おぎゃあ 」とかいう声が聴こえてきたというワケではありませんよ。
白黒茶々家の人間のほうの家族構成は当時とは変わらないのですけど、そのときたつぴはまだピッカピカの小学1年生でした。 その一方で、ペットの構成員は今とは違っていました。



ウチの子となってから、まだ1年と5ヶ月のは、2006年10月20日のブログ発足時には2歳6ヶ月と、まだ若い盛りでした。



彼より半年近く前に白黒茶々家の一員となった黒猫の女の子のその名も「黒」は、箔とほぼ同年代。黒猫のようですけど、毛の表面は焦げ茶に近く、さらに下毛は白という複雑な構造となっておりました。 締まった身体に長く延びた尻尾が特徴的でした。



こちらのちょっと太めの茶トラ猫の女の子は、「茶々」。その頃には7歳7ヶ月ほどで、たつぴが生まれる前に、我が家で最初のペットとなりました。 ちなみに彼女の名前は、ウチが加藤という性ということもあり、憧れている加藤茶さんにあやからせていただきました。また私は歴史好きで、淀殿こと茶々にもちなんでいるのですよ。

その彼らの色から、私のハンドルネームを「白黒茶」にしようと思ったのですけど、その名前はすでに使われていたので「白黒茶々」としました。 ブログの内容は、いちおう白黒茶のワンニャントリオをメインにしているのですけど、それだけではネタ切れになったり、飽きが来る恐れがあり、「長続きさせるためにも『ザ!鉄腕!DASH!』みたいになんでも屋になろう 」という決意をしました。ブログのタイトルにもテキトー感が漂っているのですけど、「つれづれ」にはそのような意味が含まれているのですよ。 しかも、そのように謳っていることをいいことに、内容は私の趣味の歴史探訪や野球観戦だけではなく、映画、グルメ、チロルチョコ、………など、いろんなものに手を出しています。あげくの果てには、うなぎパイで鰻丼を作るといったおバカ企画もやったりしました。

それ以降、私と箔はオフ会に加えて、スピッツクラブやスピッツ協会の展覧会などにも顔を出すようになり、行動範囲を広げていきました。 そのようにして、楽しくて充実した時間を過ごしてきたのですけど………
ブログ開設から4年たった頃に、茶々が11歳8ヶ月で虹の橋を渡ってしまいました。 次のお正月は、箔と黒ちゃの白黒コンビで迎えたのですけど………



箔母さんはあまりの寂しさに耐えきれなくて、新たな猫を飼いたいと訴えてきました。そして、猫の保護団体の譲渡会で出逢ったのが、「銀」だったのですよ。箔母さんは茶トラにはこだわっていなかったこともあって、アメショーのMIXみたいなのとなりました。それから名前のほうは、毛の色と、子猫の頃にすばしっこく動き回る姿が、かげろうお銀みたいだったことに由来しています。

その一方で、茶トラの女の子への思い入れが強かった私は、そのような姿かたちの猫を追い求めていました。 前述の譲渡会だけではなく、公営の保護施設を訪れたり、ネットの里親募集サイトを毎日のようにチェックしたり………



私が茶トラちゃんの募集活動を始めてから半年あまり経って、三重県熊野地方にお住まいの、へげたれ妻さんが保護し、ウチに届けてくださったのが、「京」であります。 この時点で、白黒茶々家のペット構成は、1ワン3ニャンとなりました。



それから3年ほど経った平成26年(2014年)の3月には、殺処分寸前のところをけいママさんに保護されたスピッツのゆめちゃんが、6頭の子を出産。そのあまりの可愛らしさに魅了された私は箔母さんを説得し、その仔犬のうち末っ子の水色ちゃんを新たな家族として迎え入れることとなりました。 いうまでもなく、その子が「波」であります。
しかし、それ以前から病気を患い、危篤状態だった猫の黒ちゃが、波が来たのを見届けた翌日に、長い眠りに就いてしまいました。



その年の秋が深まった頃に、私は家の近くで小さな黒モコの子猫を保護しました。その子を迎え入れた私たちは「蒼」と名付け、「黒ちゃが生まれ変わって帰ってきた」と信じ、イケニャンになることも期待して大事に育てていく決意をしました。 しかし、家族になってわずか1ヶ月ほどで、彼は私たちの手の届かないところに行ってしまいました。



蒼ちゃへの思い入れが強かった私は、しばらくして同じような姿かたちの猫を飼いたいと思うようになり、譲渡会やネットの里親募集サイトなどをフルに活用しました。 それから5ヶ月ほどの時間を要した末、ようやく出逢えたのが「晃」なのです。それと同時に、彼と一緒に保護されながらもまだ里親が決まっていなかった「緑」も合わせて連れて帰ってきてしまいました。
このような紆余曲折を経て、ペットの数は我が家では史上最多の2ワン4ニャンとなり、現在に至ります。

10年の歳月の間には、ウチの子だけではなく、たくさんのワンコ仲間との出逢いがありました。その一方で、親しくしてくれた仲間との悲しい別れも。 相手が生き物であるからには避けては通れないことなのですけど、また逢えると思っていた子が、そのときをもって今生の別れとなってしまうのは、辛いことです。なので、これからはお仲間と一緒に過ごすその時その時をより大切にしていきたいです。もちろん、ウチの子と向かい合う時間もですよ。





今回は、箔波日記が始まってからの10年間を、白黒茶々家のペット遍歴をメインにして振り返ってみましたけど、やはりここまで箔波日記を続けてこられたのは、皆さんの応援があったからです。改めてお礼を言わせていただきます。ありがとうございました。
これからも、私の士気とネタが持つ限り続けていくつもりですけど、やはりブログの中心犬物となる箔や波には、より長生きしてもらいたいです。


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コメント (6)
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