波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

女医への道を拓いた吉岡彌生さん

2021-04-07 01:39:30 | 人物伝

こんばんは、白黒茶々です。

前回、歴史散策の順路からはみ出す形で中村砦に走り、さらにの3周忌を機に彼のことも偲んだりしてしまいました。 なので今回は改めてというか、正規のルートに戻って、私はとともに現在は掛川市となっている旧大東町の下土方というところにある………

東京女子医科大学大東キャンパスに隣接している………

掛川市吉岡彌生記念館というところにやって来ました。 先程までの散策で、波と狛は疲れていると思うので、彼女らには車の中で休んでいてもらいます。 その間に、私はこちらの記念館を見学し、この地域で生まれて東京女子医大を創立し、日本の近代医学史に大きな足跡を残した吉岡彌生さんの生涯と功績に迫ってみようと思います。

………ということで、彼女の記念館の建物の前まで来たのですけど、ここから先は撮影禁止となっていました。 私に絵心があれば、見てきた資料を絵で表現したのですけど、こうなったら今までのように記述でお伝えします。 せめて入ってすぐのところにある彌生さんの胸像だけでも撮らせてもらいたかったのですけど、入館料は200円の良心価格なので、文句を言ってはいけません。

吉岡彌生さんは明治4年(1871年)に、漢方医の鷲山養齋の次女として生まれました。 正義感に溢れ、多感な少女時代を過ごしました。その時代は、女性は成人したら嫁いで家を守るのが当たり前だったのですけど、彌生さんは自分が果たすべき役割を考え、兄たちの影響もあって、医師になる決意をしました。
柔軟な考えを持つ父の養齋でも、当初は難色を示したのですけど、兄たちの説得もあって渋々了承。 彌生さんは上京し、済生学舎に入学しました。 それは彼女が18歳の時のことでした。

それから男子学生に混ざって医学を学び、21歳の時に難関だった医術開業試験後期試験に見事合格 これによって、彌生さんは日本で27番目の女性医師となりました。
その後は故郷に戻って医療活動をしたのですけど、向学心が芽生えて再び上京。 そこで出逢った吉岡荒太氏と24歳の時に結婚。 彼とは思想的にも似通い、二人三脚の生活が始まりました。

そんな彼女たちのもとに、悪い知らせがありました。 「風紀が乱れる」という理由で、済生学舎が女子学生の受け入れを停止するというのです このままでは、女性が医師になる道が完全に閉ざされてしまいますよ。 どうする、彌生さん
そこで彼女は「今までの方法がダメなら、新たに創ってしまおう 」ということを考えるようになり、そのことを荒太氏に話したら激しく同意 夫婦は私財を投げ打って、明治33年(1900年)に東京女医学校を創立しました。

東京女医学校はたくさんの女医を輩出し、女性の社会進出と地位向上に貢献しました。 ところが、その12年後にまた新たな問題が起きてしまいました。 今度は法律が変わって、このままでは東京女医学校が教育機関として機能しなくなるという事態に陥ったのです。

「このままではいけない 」と吉岡夫妻は知恵を出し合い、東京女医学校を東京女子医学専門学校として再出発できるように政府に申請しました。 やがて認可が降り、彌生さんはその校長に就任しました。 それは彼女が41歳の時のことでした。
その学校も、吉岡夫妻が私財を投じて建設したのですけど、建て増しを繰り返していったおかげで「廊下校舎」と呼ばれるほど長くて廊下ばかりの建物となってしまいました。 その模型が記念館にあるので、気になる方はぜひ見に行ってみてくださいませ。

彌生さんは大正9年(1920年)に日本女医会の会長に就任したのですけど、その翌年に夫の荒太氏が死去。 以後は彼の遺志を受け継いでいくことに。
戦後の昭和25年(1950年)に東京女子医学専門学校は東京女子医科大学に受け継がれ、2年後に彌生さんはその学頭に就任。東京女子医大は日本で唯一の女性を対象とした医科大学となりました。

彌生さんは昭和34年5月22日に、88歳で亡くなりました。

時間と空間を現在に戻して、吉岡彌生記念館には彼女に関する資料だけではなく、その生涯をダイジェストで綴ったアニメの上映もありました。 さらに、彼女と直接関わった人の証言も載せられているので、より彼女の人物像を知ることができました。

あと、彌生さんの書斎を再現したコーナーに差し掛かると、センサーで晩年に受けた時のラジオのインタビューが流れ、そこで彼女の肉声を聴くこともできました。
その順路に沿って、記念館の2階から外に出たら………

かつて下土方にあった彌生さんの生家の長屋門が復元されていました。 その看板には「鷲山醫院」と書いてありますね。気になるその内側には………

町医者を兼ねた、彌生さんの生家の母屋が移築されていました。 江戸時代末期に建てられた民家は、とても興味深いです。 では、さっそくその内部に入ってみましょう

入ってすぐのところにある台所には、昔ながらの竈や流しが再現されていました。

さらに土間の奥には、診察所となっていた座敷などが連なっているのですけど、そこから先は立ち入り禁止となっていました。 記念館の見学コースは以上で終わりとなります。
吉岡彌生さんは「至誠一貫」を座右の銘として、女性医師の育成と女性の地位向上に生涯をささげました。私は彼女の名前だけは知っていたのですけど、功績や志しは今回の見学で初めて感じ取りました。 このような偉人がこの片田舎(失礼 )から出たなんて……… なんか明るい可能性のようなものを感じました。

休憩を充分に取った波と狛には、このあと思いっきり運動してもらいましょう。 ということで、今回の散策シリーズの最後は、1年ぶりとなる掛川のドッグランで締めさせていただきます。



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 吉岡荒太は「こうた」と「あらた」のどちらなのか迷われた方は、こちらに投票してやってください。正解は「あらた」です。


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