波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

ボートレーサーへの道

2017-05-31 01:16:03 | その他

こんばんは、箔ですワン。
5月5日のこどもの日に、おれっちは家でボートレースの出走表を眺めていたのだ。



このレースは、6ー3ー4がくると思うのだ。………って、これって日記のネタになるのですか 期せずして、かなり久しぶりに「競艇箔ちゃ」の姿を見せてしまったのですけど、とにかく今回は競艇にまつわる話みたいなのだ。


こんばんは、白黒茶々です。
今回は私事ながら、私の身内の話をさせていただきます。 私には姉が1人いて、彼女の息子……… つまり私の甥っ子となるT君は、親の影響などから小さい頃からレーシングカートに興じていました。 ちなみに彼はたつぴにとっては、従兄弟にあたります。



一見おもちゃのようですけど、時速100kmも出て、さらに地面すれすれを走るということもあって、その体感速度はその倍にもなるそうです。



T君は経験を重ねていくうちに頭角を現していき、高校2年生のときには東海地区の大会で優勝しました。 それによって台湾でおこなわれるレースに招待され………



「高校生レーサー」ということで、NHKの地方局のほうで取材を受けたりしました。 彼がテレビに出るというので、親兄弟はもちろんのこと、私も含めた親戚一同は大騒ぎ カート仲間や友人知人、彼の通っていたコナン高校の生徒たちも、その日はテレビに釘付けになっていたことでしょう。その中で、レポーターのお姉さんは「将来の夢は、やはりレーシングドライバーでしょうか?」という質問をT君にしてきました。それに対して彼は「将来はボートレーサーになりたい」と言っていました。 ボートレーサーとは競艇選手のことで、彼の自宅は箔波日記にもしばしば出てきたボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)の近くにあるということもあって、身近に感じていたようです。それだけではなく、彼の祖父の石原純夫氏(故人)も、かつてはボートレーサーだったのです。 しかもその純夫氏は、桐生競艇場で赤城雷神杯の初代覇者となった、伝説の選手でもあるのですよ。それらに加えて、T君は競艇選手を主人公にした人気漫画「モンキーターン」を愛読書としていて、将来目指すべき道を決めたみたいです。



ボートレーサー(以下、競艇選手)になるには、まずは半年に1度おこなわれている競艇試験を受けなければなりません。 その1次試験には全国で1500人ほどが受験し、200人しか通らないという狭き門なのですよ。T君は中学生の頃から挑戦していたのですけど、なかなかいい知らせをもらうことはできませんでした。
そして、高校3年の春に7回目となる試験を受けたら、見事に合格することができました。T君、おめでとう しかし、ここでまだ気を抜いてはいけません。 1次試験をクリアしたら、2次試験が待っているからです。そちらのほうの試験は、福岡県柳川市にある全国で唯一の競艇選手の養成所となる、やまと学校(現在のボートレーサー養成所)まで行き、そこで泊まり込みで受けることになっていました。

現地では、2次試験のあとにもう1つ3次試験が控えているのですけど、それらに落ちた者は即、荷物をまとめて帰郷しなければなりません。 競艇選手になる夢を捨て切れなかったら、半年後にまた1次試験から受け直さなければならないのですけど、そうなった場合にモチベーションを持ち直すことはできるのでしょうか?
話は、T君が2次試験を受けるところまで戻ります。万が一その試験に落ちた場合、列車に乗って帰ってくることになるのですけど、本人から「⚪⚪時に駅に着くから、迎えに来て」という電話が彼の母(私の姉、以下『姉』)のいる職場にかかってくることになっていました。落ちたときだけ連絡が来るなんて……… さすがの姉でも、冷静ではいられませんでした。 そのような状況の中で、1通の電話がかかってきたのです!まさか……… 「もぉ~~~ ドキドキしちゃったよ、仕事の電話だった」結局、その日もその翌日もT君から悪い知らせが来ることはありませんでした。ということは……… そうです 彼は3次試験にも合格し、やまと学校に入学することが決まったのです 192人が2次3次によって36人にまで絞ら
れるという狭い関門を、よくぞ通りました。



翌春にコナン高校を卒業し、やまと学校に入学するという流れは、時季的にみても理想的といってもいいでしょう。 ちなみにこの写真は、遠いその地に旅立つ前に、彼のもう一方の祖父母(私と姉の父母)に逢いに来たところです。 やまと学校に行ったら、卒業するまでの1年間は盆と正月ぐらいしか帰ってこられないので、しばしの別れとなります。T君、体には気を付けてしっかりやってくるんだゾ



ワイドショーなどの特集などでご覧になって、すでにご存知の方もいらっしゃるかも知れませんけど、やまと学校はとにかく厳しいところです。 訓練生の1日は、早朝に起こされ、整列して乾布摩擦をするところから始まります。 その際に、布団や毛布をキチッと畳んでなかったら、やり直しをさせられます。また、指導のほうは昔ながらのスパルタ式で、少しの気の緩みも許されず、並び方やお辞儀、発声などはキッチリやらなければなりません。競艇は「水上の格闘技」と言われるほど危険を伴っているので、それらの指導法は理にかなっているのですよ。その一方で、教官の勘違いで訓練生全員が連帯責任を追わされ、ビンタを喰らうという理不尽なことも。



それだけではなく、その養成所のテレビは休憩ホールにある1台のみ。携帯やスマホの持ち込みも禁止されているので、家族や友人知人などへの連絡手段は、時間制限付きの公衆電話か、手紙しかありませんでした。
なかには、あまりの厳しさに耐えきれなくて、途中で離脱する者もいました。それに加えて、規律が守れなくてクビになったり、成績が悪く素質がなくて落とされる者もいて、訓練生の数は絞られていきました。



それでもT君はなんとか耐え抜き、お盆休みには帰ってきて元気な姿を見せてくれました。 水兵さんのような制服も、似合っていますよ。 しかし、お盆の帰省とはいっても遊びのためではないということで、莫大な量の宿題を出されました。それでもT君は地元の友人知人と一緒に過ごす時間を確保しつつ、徹夜などをして宿題のほうもキッチリとこなしたそうです。

さらに、季節は夏から秋へ。冬に入ってからもT君から悪い知らせのようなものは来てなかったので、しっかりやっていることと思われます。



そして迎えた、今年の春。彼はやまと学校を同期の26人とともに無事に卒業することができ、それと同時にボートレーサーとして、5月に地元の競艇場のボートレース浜名湖でデビューすることが決まりました T君、おめでとう。



ちなみに彼に与えられた選手としての登録番号は、4989。仏教用語で、この世のすべての苦しみを表したものに通じるのですけど、覚えやすいほうに1票を投じたいですね。 それよりも、養成所生活を締め括る卒業レースは、姉一家も観に行ったのですけど、彼女らが見守るなかで彼はぶっちぎりの1位でゴールしたそうです。



その翌月の4月に、白黒茶々家はボートレース浜名湖にやって来ました。 T君のデビュー戦はまだ先なのですけど、私たちにはある目的があるのですよ。 その目的とは………



「井伊直虎杯」ということで、出世法師直虎ちゃんや出世大名家康くん、井伊の赤備えの甲冑バージョンのスワッキーが来ていたのですけど、メインはこちらではありません。



屋内の中央広場となるアトリウムに置いてあるボートに乗っかって、選手のキモチにもなってみたのですけど、こちらも違います。



この日こちらの競艇場では、石原翼君を含めた静岡支部の新人選手の紹介とトークショーがあったので、私たちはその様子を観に来たのでした。



そうしているうちに、アトリウムの特設ステージに新人の3人が登壇しました。それにしても、司会者のお姉さんがリアル出世法師直虎ちゃんなのが、なんとも。 私たちのまわりには、翼君の友人知人と思われる人たちはいたのですけど、姉一家の姿はありませんでした。なぜなら………
競艇は公営とはいえ賭博の場であり、公平を期するためにも、選手からレースに関する情報が漏れたりしないようにするためにも、二親等以内の親族……… 彼の親兄弟と祖父母は、舟券を購入することも、競艇場の一般人がいるエリアに立ち入ることも、禁止されているのですよ。 そういう私は三親等となるので、そのような制限はありません。



話は新人選手のお披露目に戻って、その中で翼君はやまと学校にいるときにあったエピソードや「乗りやすく広い浜名湖水面で、スタートを決めて1マークでは新人らしくガンガン握って、全速ターンで多くの舟券に絡めるように頑張ります」という、これから挑むレースへの決意などを語りました。



そして迎えた、5月5日。白黒茶々家は再びボートレース浜名湖にやって来ました この日の浜名湖は快晴で、風もなくて穏やかな陽気となりました。



対岸には、この日に間に合うように新調された、石原翼選手の横断幕が掲げられていました。 この日の第1レースで、いよいよ彼が選手としてデビューします。



私たちは最も近くで観られる場所で、レースの様子を見守ることにしました。 その時、彼の親兄弟と祖父母は……… 競艇場では立ち入り制限がある中で、4階にある親族用の隔離部屋……… いや、特別室が用意されていて、彼女らはそこで観ることができるそうです。いや、ひょっとしたら心ないファンが選手の悪口を言ったり、勝手に物語を作ったりするので、そんな彼らとケンカになったりしないように、親族は安全な場所に隔離されたのかも知れません。そうしているうちに、第1レースで戦う選手たちが入ってきました。なんか、私までドキドキしてきましたよ。



ただ見守るだけではナンなので、いちおうこのような舟券も買ってみました。 ご祝儀というか、期待の現れというか……… とにかく、初めて翼選手の名前が刻まれた舟券なので、記念品になることは確かです。



そして、場内にレース開始のファンファーレが鳴り響き、6つのボートは勢いよく水上を走っていきました。 ちなみに翼選手が乗っているのは、一番外側(手前)の緑の6号艇。ガンバレ 翼選手。



一瞬上位争いに絡んだのですけど、経験豊かな選手たちに突き放され、結局6位でのゴールとなりました。それでも、翼君の戦いはこれから、ここからです 叔父バカを抜きにしても、彼には素質とスター性があります。ということで、私は今後も彼の活躍を見守っていく所存にございます。 それから、レポートの途中から翼君が実名&顔隠しナシとなったのは、彼が公人のボートレーサーになったのと、私が彼の名前を広めたかったからであります。ということで、今後もボートレーサーの石原翼選手をよろしくお願いいたします。

話は変わって、6月6日から6日間、東京都府中市にあるボートレース多摩川に、彼が出走します。 その近くにお住まいの方、競艇や翼選手に少しでも興味をお持ちになられた方はぜひ、観に行ってみてくださいませ。


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