波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

さざえ堂に至るまで(白河・会津方面二人旅その1)

2017-09-02 01:23:45 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
ここ数年は季節感がハッキリしないということが多々あるのですけど、最近になって日照時間が短くなったり、朝晩が涼しくなったり、虫の鳴き声の主が代わったり、………と、秋の訪れを感じるようになりました。 しかし、当箔波日記はその流れに反して、まだ夏真っ盛りだったお盆休みに、私がたつぴと二人で旅に行ったときの話をさせていただきます。 その夏の二人旅は毎年の恒例行事になりつつあり、これがなければ秋に突入できない ということで、どうか懲りずにお付き合いくださいませ。

今回の旅は「JRの在来線なら、5回か5人が1日乗り放題」という青春18きっぷを駆使して、東北地方の入り口の福島県の白河・会津方面を訪れることにしました。 私が過去にそちら方面に行ったのは20年以上も前のことで、たつぴは北海道や関東はあるものの、東北地方は1度も踏み入ったことがないというので、新鮮な旅となりそうですね。 ちなみに今回の予定は、連休前日となる12日(土)の夜に出発し、14日(月)の夜に帰って来るという、1泊3日の日程となります。ちなみに、その間は、箔母さんは、ニャンズたちと家に残ることに。 しかし、運命のいたずらなのか………



その土曜日の夜には「映っちゃった映像グランプリ」という、怖い心霊番組が放送されました。 心霊写真だけでもゾッとするのに、最近ではこれがリアルで不意をつかれる映像となって……… 白黒茶々家は家族全員この手の番組が好きなのですけど、箔母さんとたつぴは怖がりながら観ているみたいです。
しかし、今回はいつもとは勝手が違うのですよ。怖い映像を観たあとに、箔母さん1人を置いて私とたつぴは旅に行ってしまうのです。 「それならば、観なければいいのに」と思われる方もいるでしょうけれども、やはり気になってついチャンネルをその番組にしてしまうのですよ。 それにしても、今回もかなり納涼効果のある内容でした。そのあと、私とたつぴは旅仕度をして………



自宅から最寄りの駅まで箔母さんに送ってもらい、そこから終電に乗り込み、まずは豊橋駅に向かいました。 とはいっても、その列車に乗っている間に日付が変わったので、旅の初日となる12日はわずか数分ということになります。 そうそう、箔母さんは「その夜はニャンズたちに囲まれて寝るから、たぶん大丈夫」と言っていました。



一方の私たちは、豊橋駅からは臨時夜行快速列車のムーンライトながらに乗り換えました。 終点の東京駅には翌朝の5時ちょっと過ぎに着くので、それまで寝れるだけ寝ておきましょう。 その列車は夜行とはいっても寝台列車ではなく、座席が少しリクライニングするだけなので、馴れていないとなかなか寝付けなかったりします。それでも、私は前日は仕事が混んでいたこともあって、指定席となっていた通路側の座席に着いてからはすぐに沈みました。



そこから先のことは全く覚えてなくて、次に気が付いたときには、列車は東京駅に到着していて、他の乗客がぞろぞろと降りているところでした。 その際に、窓際の席に座っていた方、私が起きるまでなかなか出られなくて申し訳ございませんでした。
さらに私とたつぴは、上野駅に移動。 そこのホームで、宇都宮行きの始発列車が来るのを待ちました。ところが「鶯谷~上野間の線路内に人が侵入しているので、列車の運転を見合わせております」というアナウンスがあり、私たちが乗る予定の列車はなかなか姿を表しませんでした。ま、まあこのようなことはよくあることですし。 いや、進入者は早くどきなさい

ところが、5分経っても10分経ってもまったく動きはありませんでした。 しかもアナウンスのほうも「線路内で横たわっている人がいる」となっているではありませんか そんな場所で具合が悪くなったのでしょうか?いや、酔っぱらいかも知れませんね。いやいや、何かの抗議行動という可能性も。 いずれにしても、私たちはこの先の宇都宮駅で朝食を取る予定なので、その時間がなくならないようにしてくださいよ。その侵入現場は駅のホームからは見えませんでしたけど、そちら方面に向かって線路の上を警察官や鉄道整備員たちが歩いていくのは見えました。 それから間もなくして鉄道は復旧し、私たちが乗った列車は30分近く遅れて上野駅を出発しました。



そして、宇都宮駅で8時ぐらいにようやく朝の朝食モーニングにありつくことができました。 ちなみにこちらのお店は、白黒茶々家が3年前の家族旅行で日光・つくば方面に行ったときにも利用したことがありますよ。トーストにヨーグルト、スクランブルエッグ、トマトジュース、ブレンドコーヒーなどを、いっただきま~す
朝の活力を養ってから、私たちはさらに列車を乗り継いでいき………



旅の最初の目的地となる、福島県の白河駅に降り立ちました。 こちらの駅舎は大正12年(1923年)に建てられたときのままで、レトロ感ありありですね。 しかし、私たちが目指しているところはその反対側にあるのですよ。その駅のホームからもよく見えていたその名所とは………



白河小峰城のことにございます こちらのお城は東北地方では珍しい総石垣造りなのですけど………



6年前の東北大震災で損傷し、現在でも石垣の積み直しの作業がおこなわれています。



こちらの高石垣も崩れたのですけど、お城の真っ正面ということもあって、真っ先に手をつけたみたいです。崩壊前と同じ場所に同じ石を積んだのですけど、高いのに加えて幾何学的にも見える石垣が印象的です。



平成6年(1994年)に木造で復元された前御門や、同じく平成3年(1991年)建設の御三階櫓は、あの大地震に耐え抜いたみたいです。
白河小峰城は、14世紀中頃に結城親朝が小峰ヶ岡に城を構えたのが始めと云われています。その後、豊臣秀吉の配下の蒲生氏郷の領地となったりして、寛永4年(1627年)に初代白河藩主となった丹羽長重によって大改修がおこなわれ、今日見られるような規模となりました。その後、榊原、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部と城主が移り変わり、慶応4年(1868年)に戊辰戦争に巻き込まれ、小峰城は焼失してしまいました。ちなみに江戸時代後期に老中となり、寛政の改革を執り行った松平定信は、松平(久松)で、こちらのお城の城主でした。



せっかくなので、小峰城に到達したことを記念して、こちらで親子写真を撮っておきましょう。 それが済んだら………



御三階櫓の内部を見学しますよ このような呼び名なのですけど、この建物は実質的には天守でした。しかも、現存する図面をもとにして、木造で当時の工法で復元され………



戊辰戦争で被弾した杉の大木を材料に使っていることもあって、床板などに銃弾の穴が見られます。



急階段に、手斧で仕上げられた太い柱や梁、………入場無料なのですけど、見応えは充分です。 それから最上階は狭く、窓も小さいのですけど、見張らしは抜群でした。



こちらのお城の見学時間は2時間近く取ってあったのですけど、余ってしまいました。そうしたら、せっかくなので裏にあたる北側からも眺めておきましょう。 こちらは、広い水堀に守られております。



白河駅のホームは屋根があって風通しがいいうえに、小峰城も真っ正面に見えるので、お昼を食べるのにオススメの場所です。 そこで、私たちは買ってきたおにぎりなどを食べながら、次の列車が来るのを待ちました。
白河でのミッションを終え私たちは、再び列車に乗ってさらに先に進み、郡山からは磐越西線に乗り換えていきました。



そして、14時過ぎに会津若松駅に到着。こちらも戊辰戦争の戦場となったところで、市内にはそれに関する史跡などがあります。



その駅前からは、市内を巡回するバスが出ています。 間もなくして、時計回りに走るあかべぇが来たので、乗っていきますよ そこから6分ほどで………



飯盛山が見えてきました 白虎隊ゆかりの地でもあるこちらの山は、今回私は初めて訪れることになります。



その山の麓には、茶屋やお土産屋さんが並んでいて、さらにそこから長い階段が続いていました。その脇には、有料のスロープコンベアも設けられているので、登るのがエラいという方は、そちらをご利用くださいませ。



その階段に差し掛かるところの左手には白虎隊記念館があり、その前には隊員の酒井峰治と愛犬クマの銅像が。クマ君(ちゃん?)、思いっきり峰治君を抱き締めていますね。飯盛山といえば……… 私たちはまずはある建築物を見ておきたかったので、先ほどの階段からそれた道を歩いていきました。戸ノ口堰神社や戸ノ口堰洞穴がある場所からちょっと登ったところには………



これこれ、これですよ サザエさんも訪れたことがあるという、さざえ堂が聳え立っていました。



ちなみにさざえ堂は通称で、正式名称は旧正宗寺・円通三匝堂(きゅうしょうそうじ・えんつうさんそうどう)。皆さんはトチらずに言うことができたでしょうか? 寛政8年(1796年)に郁堂和尚が考案・建立したもので、高さは16m。六角3層なのですけど、外観からしても摩訶不思議な形をしていますね。その内部の構造は、実際に私たちが入って説明します。
まずは、券売所で入場料(大人400円、高校生300円、小中学生200円)を払い、そのまましおりとして使えるようなおしゃれな入場券を受けとります。そうしたら、お堂の中には土足のままお入りくださいませ。



入口からは上に向かって緩やかな螺旋のスロープが続いています。 それをぐるぐる回るようにして上がっていくのですけど、かつてはそのスロープに沿って西国三十三観音像が安置されていて、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。



そうしているうちに、頂点に到達してしまいましたよ。 そこで、たつぴに思わず出たのはこのポーズ。それにしても、かなりの数のお札が貼り付けられていますね。



あとは下に続いているスロープを降りていくだけなのですけど、上りと交わらない不思議な構造となっておりました。 ただし、このまま淡々と終わってしまってはナンなので………



途中に何ヵ所か、お堂の真ん中を抜けてワープできる通路(かなり狭いですよ)があるので、堂内が混んでいなかったらワープしまくりましょう

さざえ堂のからくりは事前に調べてあったので一応知ってはいたのですけど、実際に見学してみたらかなりインパクトありありでした。 そこを出たところでインタビューされたら、私は迷わずこのように答えます。
「さざえ堂の中には、宇宙があった」
現在は国の重要文化財に指定されているのですけど、いずれはピサの斜塔に対抗できるほどの世界遺産に認められると信じています。

飯盛山といえば、白虎隊にまつわる旧跡もあるのですけど、それらのレポートは次回の日記でさせていただきます。


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