こんばんは、白黒茶々です。
今回は、家族旅行二日目の様子をお伝えします。
その日の早朝に私は一人だけ起き、朝散歩に出ていきました。
そのようにして、向かった先は………

大聖寺城跡です。このお城は、南北朝時代に標高70メートルの錦城山に築かれた平山城です。のちに加賀藩前田氏のものになるのですけど、江戸時代初期に廃城となってしまいます。その後、山の麓に大聖寺藩の拠点として、陣屋が設けらました。

大聖寺川沿いには、陣屋の茶室として建てられた長流亭が残っています。こちらの建物は、宝永6年(1709年)小堀遠州が設計したもので、国の重要文化財に指定されています。
せっかくここまで来たのですから、山の上のお城のほうも散策しておくことにしましょう。

ハアハア……… それほど高い山ではないのですけど、けっこう汗が吹き出し……… いや、朝の運動にはいいですね。
お城の中心となる本丸跡には石碑があり、木々の間から加賀市内を見渡すことができました。

また、散策道を登ってすぐのところには、洞穴があります。
この穴には深いいわくが付いているのですけど……… とにかく、今から説明しますね。
明治元年のこと、大聖寺藩は新政府軍から越後戦争のための弾薬供出を命じられました。しかし藩にはそれに応じるお金がありません。そこでやむにやまれず贋金を作り、対応したのですけど、その中心となった人は事件の責任を負って切腹させられてしまいました。
このことは、のちに「パトロン事件」と呼ばれるようになりました。その際に用いられた洞穴が、この穴なのですよ。

朝散歩を終えてホテルに帰ったら、箔母さんとたつぴを起こして、朝食をいただくことにしましょう。
こちらのほうは、「ホテル予約の章」で触れたとおり、バイキング形式となっております。和食・洋食に飲み物も取り揃えてありますので、胃袋が許す限り、存分にお召し上がりくださいませ。
朝食を済ませて支度ができたら、この日最初の目的地に向かうことにしましょう。
箔母さんが行きたがっていた、福井県にあるその観光名所は絶景がウリとなっております。また、そこに至る道には案内の標識が続いているので、ほとんど地図を見ないで行き着くことができました。自殺の名所としても知られ、越前海岸にあるその名所とは………

東尋坊のことでした。またこちらは、船越栄一郎さんに追い詰められた犯人が、事件のからくりを告白する場所としても、知られていますよね。

海に飛び出た岩場が断崖絶壁になっていて、上からのぞくとかなり迫力というか、スリルがあります。せっかくなので、その様子も載せておきますね。きょうしょこうふ……… 失礼しました、ついかんでしまいました。
改めまして、高所恐怖症の方は次の写真をとばしてお読みくださいませ。

ほら、高いでしょ?このようなところは安全対策とかいって、柵などを設けて近付けないようにすることが多いのですけど、東尋坊は行きたいところまで行けるので、ありがたいですよ。

ちなみに、東尋坊の断崖絶壁を背にして逆方向を見ると、このような感じになります。

その近くには、越前の海の幸が食べられる食堂や土産物屋が軒を連ねていて、活気があります。私たちはオシの強いお店に入り、そこで昼食をとることにしました。私が注文した、イカと甘エビ丼が来ましたね
ネタは新鮮で歯応えがよく、たいへん美味しうございました。

さらにお店を抜けたところには、有名な東尋坊タワーがあります。「この東尋坊タワーって、東京スカイツリーより低いんだよ」という私の解説に、たつぴは「知ってるよ」と。ちなみに高さは55メートル。スカイツリーの何分の1だと思っているのですか?
それはまあいいとして、せっかくなので、上ってみることにしましょう。
展望回廊に着いたら、さっそく「東尋坊タワーからは、東尋坊は見えない」というウワサを検証してみました。その結果………

う~む……… 見えないこともないのですけど、ほとんど隠れてしまっていますね。
それでも、先ほど歩いてきた通りやお店の賑わいの様子はよく見え、駐車場に止めてきたウチの車も、確認することができました。
あと、延々と続く越前海岸の様子や、日本海の水平線を眺めることもできるので、上って損はないと思います。
いろんな意味で東尋坊を味わったら、私たちは車に乗り込み、次の目的地がある内陸部のほうに向かって走っていきました。
東尋坊と同じ坂井市にあるその名所とは………

丸岡城のことでした。
このお城は1576年(天正4年)に柴田勝豊によって築かれました。現存する2層3階の天守は、掘立て柱を用いた古い様式のもので、通し柱がなく、大屋根の上に望楼を乗せた外観となっています。またその屋根には、凍結で割れないように、笏谷石製の石瓦が使われているのですよ。それだけではなく………

階段の角度が、これでもかというほど急なのですよ。
そのために、手すりでは間に合わず、上から補助のロープが垂れ下がっています。

それでも、なんとかして登っていくと、最上階からは城下町やまわりの山々、遠くに北陸自動車道の車の流れなどを眺めることができます。

このお城にまつわるものは、まだあります。天守のすぐ下の石碑には、徳川家康の家臣の本多(作左衛門)重次が戦場から妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という短い手紙の全文が刻まれています。
お仙とは、彼の嫡男の仙千代(のちの成重)のことで、仙千代はその後、丸岡城の城主にもなりました。この史実にあやかり、丸岡町(現在の坂井市)は地域おこしの一環として「日本一短い手紙」を全国から公募し、入選した作品は書籍にもなっています。
タイトルのうちの「絶景」と「拝啓」は済ませたので、残るは「珍風景」だけです。私たちにとって今回の家族旅行の最終目的地となるその場所とは………
すみません。そちらのほうは「珍」が付くだけあって中身があまりに濃くて、手を抜かずにご案内していくとあまりに長くなってしまうので、次回に持ち越させていただきます。
その代わりといってはナンですけど、更新のスピードを上げるので、次回その実態が明かされるまで、「珍風景」とはどこのことなのか、推測しながらお待ちくださいませ。

「東尋坊は、ダイスケ君も行ったね」という方は、こちらに投票してやってください。
今回は、家族旅行二日目の様子をお伝えします。



大聖寺城跡です。このお城は、南北朝時代に標高70メートルの錦城山に築かれた平山城です。のちに加賀藩前田氏のものになるのですけど、江戸時代初期に廃城となってしまいます。その後、山の麓に大聖寺藩の拠点として、陣屋が設けらました。

大聖寺川沿いには、陣屋の茶室として建てられた長流亭が残っています。こちらの建物は、宝永6年(1709年)小堀遠州が設計したもので、国の重要文化財に指定されています。



ハアハア……… それほど高い山ではないのですけど、けっこう汗が吹き出し……… いや、朝の運動にはいいですね。



また、散策道を登ってすぐのところには、洞穴があります。

明治元年のこと、大聖寺藩は新政府軍から越後戦争のための弾薬供出を命じられました。しかし藩にはそれに応じるお金がありません。そこでやむにやまれず贋金を作り、対応したのですけど、その中心となった人は事件の責任を負って切腹させられてしまいました。


朝散歩を終えてホテルに帰ったら、箔母さんとたつぴを起こして、朝食をいただくことにしましょう。


朝食を済ませて支度ができたら、この日最初の目的地に向かうことにしましょう。


東尋坊のことでした。またこちらは、船越栄一郎さんに追い詰められた犯人が、事件のからくりを告白する場所としても、知られていますよね。


海に飛び出た岩場が断崖絶壁になっていて、上からのぞくとかなり迫力というか、スリルがあります。せっかくなので、その様子も載せておきますね。きょうしょこうふ……… 失礼しました、ついかんでしまいました。



ほら、高いでしょ?このようなところは安全対策とかいって、柵などを設けて近付けないようにすることが多いのですけど、東尋坊は行きたいところまで行けるので、ありがたいですよ。


ちなみに、東尋坊の断崖絶壁を背にして逆方向を見ると、このような感じになります。

その近くには、越前の海の幸が食べられる食堂や土産物屋が軒を連ねていて、活気があります。私たちはオシの強いお店に入り、そこで昼食をとることにしました。私が注文した、イカと甘エビ丼が来ましたね



さらにお店を抜けたところには、有名な東尋坊タワーがあります。「この東尋坊タワーって、東京スカイツリーより低いんだよ」という私の解説に、たつぴは「知ってるよ」と。ちなみに高さは55メートル。スカイツリーの何分の1だと思っているのですか?

展望回廊に着いたら、さっそく「東尋坊タワーからは、東尋坊は見えない」というウワサを検証してみました。その結果………

う~む……… 見えないこともないのですけど、ほとんど隠れてしまっていますね。

あと、延々と続く越前海岸の様子や、日本海の水平線を眺めることもできるので、上って損はないと思います。

いろんな意味で東尋坊を味わったら、私たちは車に乗り込み、次の目的地がある内陸部のほうに向かって走っていきました。


丸岡城のことでした。


階段の角度が、これでもかというほど急なのですよ。


それでも、なんとかして登っていくと、最上階からは城下町やまわりの山々、遠くに北陸自動車道の車の流れなどを眺めることができます。


このお城にまつわるものは、まだあります。天守のすぐ下の石碑には、徳川家康の家臣の本多(作左衛門)重次が戦場から妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という短い手紙の全文が刻まれています。

タイトルのうちの「絶景」と「拝啓」は済ませたので、残るは「珍風景」だけです。私たちにとって今回の家族旅行の最終目的地となるその場所とは………
すみません。そちらのほうは「珍」が付くだけあって中身があまりに濃くて、手を抜かずにご案内していくとあまりに長くなってしまうので、次回に持ち越させていただきます。






東尋坊は、教科書の写真でしか見たことがなかったので、実際はどんな感じなのか、よくわかりました。
私、伊豆のつり橋にも近づけないほどの高所恐怖症なので、やはり遠目からしか見れないですね・・・多分。
丸岡城は中まで入れるんですね。急な階段にはびっくりしました!娘の期末テストで、今城郭とか天守閣のつくりとちょうど勉強中だったので、参考になりました。
次回の珍風景・・気になってます。更新お待ちしております(^v^)
私も、東尋坊といえば、断崖絶壁で自殺の名所というウワサぐらいしか知らなかったのですけど、実際に行ってみたら思っていた以上に絶景で、海の幸も美味しく、充分堪能することができました。
丸岡城は、全国にある天守が現存するお城の中でも、最古のほうです。それにしても、お城のことがテストに出るなんて、いいですね
ちなみに次回の珍風景は……… 一応こちらにも高いところが出てくるのですよ。
個人的には犬山城の方が景色がよいし好きなのですが、丸岡城の方が階段も急だし、古さを感じますね。
丸岡城は福井地震で一度倒壊して倒壊材料で復元したので、最古の城は犬山城だと思っていましたが、色々説があるみたいですね。
福井県内には、天守閣が確か大野と勝山にありますよ。
勝山は観光の為に作った城ですが。
大野城は昔の天守閣後に復元された山城なので、風景はいいですよ。
ちなみに、丸岡城から車で20分ほど行くと、秘密の県民ショーで紹介されていた油揚げ定食が食べれるお店がありましたよ。
あと、丸岡IC近くには美味しい「おろし蕎麦」のお店もありましたよ。
今度、こられる予定があればご紹介しますよ。
今度の来福は冬場にカニ食べにどうですか?
追伸
ミントはまだまだ元気でガルガルしています。
その丸岡城は、昭和23年の福井大震災で一度倒壊し、旧部材の8割を使って建て直したのが、現在見ることのできる天守なのです。こちらの天守は、古さだけではなく、石瓦も個性的ですね。
そういえば、福井県で天守のあるお城は、丸岡城のほかには越前大野城と勝山城がありますね。
一方の勝山城は、次の日記のほうでも触れているのですけど、まわりの景色から思いっきり浮いています。
坂井市の油揚げも、美味しそうですね。
福井の冬の味覚もいいですね。