波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

実はスゴいところだった、玉藻公園と栗林公園(高知・高松紀行その4)

2018-09-01 01:34:12 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記の最後に、私はこの一人旅では唯一の宿泊地となる近江屋……… じゃなくて、ファーストイン高松にチェックインしました。 こちらも寝てしまえば、翌朝まで一気にワープしてしまうのですけど、朝になったら朝風呂に入ってから朝御飯をいただくことにしましょう。 気になるその内容は………



ご飯と味噌汁、焼魚、切り干し大根のおひたし、味付けのり、………と、和朝食でした。 それらを平らげて仕度ができたら、早々と観光に出ますよ すでに前回の日記の最後にヒントというか、答えが出ているのですけど、この日私が最初に向かったところは………



なぜかレクザムホール(香川県民ホール)の敷地内に入っていったのでした。 その一角には、お城の石垣みたいなものがあるような……… と、思われたそこのアナタは鋭いです こちらは高松城の東丸跡で、その石垣の上には昭和40年(1965年)まで高松城の貴重な建築遺構となる艮櫓(うしとらやぐら)が建っていたのですよ。 しかし、この場所での保存は難しくなったので………



桜の馬場の一角の、太鼓櫓跡に移築されました。 昨夜見た旧東丸艮櫓が、その現在の姿であります。夜景も美しかったのですけど、快晴の空の下でも白壁が映えていますね。



そのお堀端では、琴電こと琴平電鉄の列車が ひっきりなしに走っていました。 またしても回りくどい案内となってしまいましたけど、いよいよ現在は玉藻公園となっている、高松城跡の敷地内に入りますよ こちらは夏場は早々と朝の7時から開園しているのですよ。 そうしたら、入場料の200円を払って………



園内を散策しますよ ちなみに向こうに見えるのは、本丸二の丸を繋ぐ鞘橋にございます。高松城の本丸はかつては四方が水堀に囲まれていて、この鞘橋が二の丸とを結ぶ唯一の連絡橋となっていました。



北の丸の一角には、延宝4年(1676年)に建てられた月見櫓水手御門渡櫓の一連の建物が現存しています。



それらはお城の外側から見たほうが、わかりやすいですね。 かつてはこの一角は瀬戸内海に直接面していて、それらのなかでも3層の月見櫓は、江戸から帰ってきた藩主の船を望み見たことから「着見櫓」とも呼ばれていました。
高松城は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、その翌年から築いた平城です。生駒氏は4代続いたのですけど、寛永17年(1640年)の生駒騒動によって、その領地を没収 代わりに松平頼重が入城し、お城の大改築を始めました。

頼重は徳川光圀(水戸黄門)の兄なのですけど、徳川3代将軍家光への配慮もあって、水戸藩主の座は光國のほうが継ぐことになりました。 光國は次男である自分が兄を差し置いて水戸藩を継いだことを悔やみ、頼重の子の綱條を水戸藩の次の藩主にしました。一方の頼重も、光國の子の頼常を次の高松藩主として迎え入れました。お互いのことを尊重しあっていて、すばらしい兄弟愛ですね。 以来、両藩の間では養子縁組が繰り返されたのでした。めでたし、めでたし。



………って、危うくここで話を終わらせるところでした。 とにかく、お城の散策を続けさせていただきます。三の丸跡には、高松城や歴代藩主関連の資料を展示している陳列館があるのですけど、こちらの披雲閣も見逃せません。松平氏の時代にも同じ場所に披雲閣と呼ばれる壮大な御殿があったのですけど、明治時代に老朽化のために破却。現在のものは大正6年(1917年)に建てられ、国の重要文化財に指定されています。



その部屋の大半は、貸しスペースとなっているのですけど、この日はこちらの蘇鉄の間が来場者の休憩所として、無料解放されていました。



私が十数年前の前回訪れたときには、本丸の天守台の上には松平頼重を祀った玉藻廟という……… 正確には、すでに他の神社に合祀されて、もぬけの殻の状態だったのですけど、その建物はまだ残っていました。



そこには明治17年(1884年)まで、このような天守が建っていたのですよ。 外観は3層なのですけど、内部は穴蔵構造の地階も含めて5階。上層部の屋根を省いて最上階が張り出す南蛮造りという構造となっていました。それだけではなく、初階も天守台から張り出していて、天守建築としては四国最大の規模を誇っていました。
意匠的にも優れ、三方を囲んでいるお堀に映る姿も美しく、瀬戸内海を渡ってくる船の目印にもなっていたことでしょう。しかし、こちらも老朽化のために取り壊されてしまいました。



高松市はこの天守の復元に備えて、天守台の石垣を積み直したのですけど、文部科学省から「待った 」がかかってしまいました。 高松城は国指定史跡で、そのような場所には法律で正確な復元しか認められないというのです。高松城の天守は、いくつかの古写真から外観はわかっているのですけど、そのちも内部や構造についてはまだ不明な点が多いのですよ。そこで………



当局は、内部の古写真や平面図、雛型などの史料を募っていて、天守の復元が可能となるほどのモノを寄せた人には、3000万円もの懸賞金を賭けることにしたのです そのような一級史料をお持ちの方がいましたら、ぜひご協力くださいませ。



その天守台の下のお堀では、乗舟体験(1回約500円、所要時間30分ほど)の舟がのどかに浮かんでいました。 船頭さんが長い竿で押して進むところが、スゴいですね。



そうしたら、私は1回100円のガチャガチャで購入して、魚の餌やり体験をすることにしましょう



お堀の水面にその餌を撒いたら、魚が寄ってきましたよ しかも、次々と群れが集まってきて、かなり賑やかになりましたし。これは楽しい しかもこの魚は鯉ではなく、鯛なのですよ さらに、鳩がそのおこぼれを狙っていますし。
観察力のある方は、私が餌を購入するところで気付かれたかも知れませんけど、ガチャの機械が「大願成就」ならぬ「鯛願城就」となっているところにも、ヒントが隠されていました。これはおみくじも兼ねていたみたいですけど、私が引いたものには餌しか入っていなかったので、ハズレということに。



高松城は瀬戸内海に張り出す形で築かれた水城で、現在でもこちらの水門で海と繋がっているのですよ。 なのでお堀には海水が行き渡り、鯛の餌やり体験ができる珍しいお城でもあります。 「ここで隠れて釣りをやったら、入れ喰い状態だな」と思いつつ、私は高松城をあとにしました。



まだ10時台ですけど、スケジュール的にも今食べておかなければなりません。それに、香川県に来たからには、やっぱり本場の讃岐うどんはハズせませんね。 ということで、私は高松駅のすぐ近くにある、めりけんやというお店に入りました。
注文形式は全国展開している丸亀製麺とほぼ同じですけど、麺もトッピングも品数が豊富で、つい迷ってしまいます。 そのような中で、私は………



ぶっかけうどんの冷やしに、ちくわ天と野菜天をチョイス(合計570円)しました。弾力があってツルッとしたのど越しの麺が、添えられた大根おろしやかぼすの効果とも相まって、スッキリさっぱり うどん+うどん+天ぷら+………とバリエーションを楽しみつつ、美味しくいただくことができました。



腹ごしらえが済んだら、今回の一人旅の最後の目的地に向かいますよ それはどこかと言いますと……… 日記のタイトルに出ていましたね、はい。その栗林公園には、高松駅から単線&ワンマンの高徳線の列車に乗り、2駅目の栗林公園北口駅(無人駅)で降ります。 そこからさらに10分ほど歩いていくと………



栗林公園の正面入口となる、東門(切手御門)にたどり着きます。あまり知られていないのですけど、先ほど行ってきた玉藻公園(高松城)と栗林公園は連携していて、こちらの券売所に玉藻公園の入場券を提示すると、410円の入場料が320円になるのですよ。 また、逆の場合でも割引きしてもらうことができます。



このあたりで、箔母さんから「家に新しいエアコンが入った」というお知らせがありました。 波ちゃも一緒になって涼んでいるのですけど、その視線は京ちゃに向けられていますね。



そうしたら仕切り直して、思いっきり園内を散策しますよ それにしても視界が開けていて、開放的ですね。



それもそのハズ。栗林公園は広さが23万坪もあり、それは東京ドーム16,25コぶんに相当するのですよ その園内を普通に廻ると、1時間以上もかかります。



こちらの建物は、商工奨励館です。写真には入りきらなかったのですけど、平等院鳳凰堂のように左右対称となっています。明治32年(1899年)に香川県博物館として建設され、現在は休憩スペースやカフェとして活用されています。



こちらの鶴亀松は、110個の石を組み合わせて亀を表現し、その上に鶴が舞っているような松を配しています。
栗林公園は、16世紀後半にこの地方の豪族の佐藤氏によって築庭されたのが最初と云われています。寛永2年(1625年)には、生駒高俊が南湖一帯を造園し、さらに寛永19年(1642年)に入封した松平頼重が引き継ぎました。そして、延享2年(1745年)の頼恭の代に全体が整い、明治に至るまで松平氏の下屋敷として使用されました。 明治8年(1875年)に県立公園として一般に解放され、さらに昭和28年(1953年)に特別名勝に指定され、現在に至ります。



さらにこちらは、梅林橋から臨んだ風景です。 北湖の向こうに見える築山は、芙蓉峰にございます。芙蓉峰は富士山の異名で、言われてみれば確かに、富士山を見立てているようです。



掬月亭は四方正面の数奇屋造りで、庭園の中心的な建物であります。「大茶屋」という名で歴代藩主から愛され、現在は庭園を眺めながらお茶席の抹茶(700円)や煎茶(500円、ともにお菓子付き)のサービスを受けることができます。



園内随一のビュースポットといったら、やっぱりこちらの飛来峰から南湖を経て、掬月亭方面を眺めた風景ですよね ちなみに手前は偃月橋で、後方の紫雲山までも借景として利用しておられる。
栗林公園は日本三大庭園には入ってないのですけど「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では「わざわざ旅行する価値があるところ」として紹介され、なかでも園内の松、掬月亭、偃月橋、飛来峰はオススメのポイントとされています。その影響からか、外国人観光客もたくさん来ていました。栗林公園からのレポートは、以上で終わりであります。



あとは在来線を乗り継いで帰るだけです。四国の鉄道の出入口となっている坂出に差し掛かったときに、讃岐富士こと飯野山が姿を現し、私を見送ってくれました。



瀬戸大橋からは瀬戸内海を眺めることができるのですけど、その風景を撮ろうとするとどうしても橋の梁などが写ってしまう なので、与島のパーキングエリア付近の視界が開けたところで撮っておきました。 そして8時間ほどかけて、無事に帰宅することができました。



改めてお土産を並べてみたら、讃岐うどん以外は、きびだんご、一六タルトと、今回の一人旅で寄ったところ以外の名物が混ざっていました。 ま、まあ、いずれのものも美味しいので、いいではありませんか
その道中にあった神社では、「次回はたつぴも連れて来られますように……… いや、来年は親子珍道中ができますように~」と祈願しておきました。 それよりも、皆さまには今回の旅日記の長話に最後までお付き合いしていただき、とても感謝しています。 それから次回は、今回のシリーズではほとんど出番のなかった波ちゃの要望に私が応える予定となっています。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 きびだんごといえば鼠先輩ですけど、彼が何をやった人なのかどうしても思い出せないという方は、こちらに投票してやってください。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桂浜と坂本龍馬と花火大会(... | トップ | ワンコの散歩スポット、伊場遺跡 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
bolicaminandoさん♪ (白黒茶々)
2024-02-14 10:56:37
コメントをくださり&旅日記を褒めてくださり、ありがとうございます。
久しぶりに行ったら、栗林公園も玉藻城も見どころ満載で見応えがありました。

さらに、お正月の番組にその時に泊まったファーストイン高松が出てきて大喜び また行きたくなりました。
返信する
Unknown (bolicaminando)
2024-02-06 14:15:21
素晴らしい旅日記でした!
栗林公園も玉藻城も幼い頃の遊び場でした。
でも、こんなに詳しく書かれているのを読んだのは初めて。
知らないことがいっぱい!
ありがとうございました😊😭
返信する
もちたさん♪ (白黒茶々)
2018-09-15 08:10:19
もちたさん、おはようございます~
今年のお盆休みに、以前から行きたいと思っていた高知方面にようやく踏み入ることができました。 高知といえば、やっぱり坂本龍馬ですよね。 「龍馬伝」の福山龍馬は、カッコよかったですよね。
「西郷どん」の小栗龍馬もいい味出しているのですけど……… 明日の放送で暗殺されてしまうのですよ。

彼を手にかけた人物の痕跡が静岡県内にあるので、近日中に調査に行くつもりでいます。
返信する
歴史好きにはたまらない。 (もちた)
2018-09-15 00:30:55
こんばんは!
今回は遠くへお出かけだったのですね。
土佐ですね(*^^*)♪
歴史(幕末)好きにはたまらないですね。
(私はにわかですが(-.-))
桂浜にたたずむ龍馬さん凛々しくて素敵です。
今は西郷どんやってますがもう一度「龍馬伝」を見直したくなって来ました(笑)
返信する

コメントを投稿

一人旅」カテゴリの最新記事