こんばんは、白黒茶々です。
私の北関東方面への一人旅は、早いもので折り返し地点、いや、それよりちょっと先まで来てしまいました。
そんな流れで、今回の話は高崎の激安ホテルに泊まって、夜が明けたところから始めさせていただきます。

気になる朝食の内容はこのような感じで、すべてセルフサービスとなっております。
パンのほうは、クロワッサンにバターロール、くるみパンなど、種類が豊富ですよ。さらにおかわり自由なので、存分にいただくことにしましょう。
朝食を済ませ、身支度が整ったら、次の目的地に向かいます。

こちらは同市内にある高崎城です。このお城はかつては三重のお堀に囲まれ、堅固な構えをしていたのですけど、明治以降に開発の波に飲まれて、いや、城の敷地内に軍隊を置くために破壊され、現在は最も外側の三の丸の堀が、水路のように残っているだけです。
そのお堀に沿って歩いていくと………

東門(右)と乾櫓(左)が見えてきます。この二つの建物は、明治以降に民家として城下に移築されていたものを近年、城内に戻したもので、旧位置とは異なるものの、高崎城のシンボル的存在となっております。
また、高崎城は悲劇の貴公子・徳川忠長が最期を迎えたところとしても知られています。
忠長は、徳川二代将軍の秀忠とお江の間に生まれ、幼名を国松といいました。のちに三代将軍となる家光の弟に当たるのですけど、幼少の頃から忠長のほうに才覚があったみたいで、両親は家光(幼名・竹千代)より彼のほうを寵愛していました。
その勢いで、秀忠らは忠長のほうを三代将軍にしようと目論んでいたのですけど……… そこに初代将軍だった家康が出てきて「将軍職は嫡男(家光)が継ぐべし
」と釘を刺したそうです。
その後、家光は三代将軍に、忠長は駿府城(静岡県静岡市)にて大納言の位を賜り、駿河大納言と呼ばれるようになりました。しかし、幼少の頃からの恨みを抱いていたからでしょうか?秀忠の死後、家光は忠長のことを疎んじるようになり、「乱心を繰り返している」という理由から彼を甲府城、さらに高崎城へと追いやり、しまいには自刃するように通告したのです。
忠長はそれに従って短刀で喉を突き、28歳でその生涯を終えてしまいます。
それにしても、忠長の処分には不可解なところがたくさんあるように思えてなりません。
直接の理由がたび重なる乱心ではあまりに抽象的過ぎますし、忠長は家光を脅かすような存在だったとは思えませんし……… やはり、両親のえこ贔屓が後々まで尾を引いていたのでしょうか?

高崎城から東に400メートルほど行ったところに大信寺というお寺があります。
その境内には………

忠長がまつられています。それにしても、この廟所は兄家光の大猷院の霊廟と比べると、あまりにも質素で、不遇だった彼の生涯を象徴しているようです。
しかし、家光の弾圧行為はそれだけでは終わりませんでした。今度はそのとばっちりが肥後の熊本城主加藤忠広(私が尊敬している加藤清正公の嫡男)にまで及び、彼が忠長と仲が良かったというだけで、加藤氏はお家断絶という憂き目に遭わせられてしまいました。その手段はあまりにも残酷で、わずか三歳の彼の息子まで切腹させるという……… あ~~~、なんか書いているうちに怒れてきた。いえみつぅ~
すみません、私としたことがちょっと取り乱してしまいました。
それでも、家光は鎖国政策やキリシタン禁教令、それに参勤交代などの制度を整えて徳川幕府を盤石なものにし、いいコトもしているので、私はこれからはなるべく彼のことを悪く思わないように努めるようにします。
そうそう、来年のNHK大河ドラマ「江~女たちの戦国」にも徳川忠長が出てくるハズです。果たして彼は、その作品の中ではどのように描かれるのでしょうか?
また、その役は誰がやるのでしょうか?できたらイケメン君にやってもらいたいです。
とはいっても、忠長の悲劇が起こる前に母お江と父秀忠が亡くなり、物語がそこで終わってしまうので、家光が悪役に走ることはないと思います。
再び話は現在に戻ります。忠長公を偲んだあとに、私は群馬県の県庁所在地に向かうのですけど………
私の北関東一人旅は次回で終わりです。ちょっと長くなってしまいましたけど、ここまで来たら最後までお付き合いくださいませ~

大河ドラマの忠長役が気になる方は、こちらに投票してやってください。
私の北関東方面への一人旅は、早いもので折り返し地点、いや、それよりちょっと先まで来てしまいました。



気になる朝食の内容はこのような感じで、すべてセルフサービスとなっております。


朝食を済ませ、身支度が整ったら、次の目的地に向かいます。

こちらは同市内にある高崎城です。このお城はかつては三重のお堀に囲まれ、堅固な構えをしていたのですけど、明治以降に開発の波に飲まれて、いや、城の敷地内に軍隊を置くために破壊され、現在は最も外側の三の丸の堀が、水路のように残っているだけです。


東門(右)と乾櫓(左)が見えてきます。この二つの建物は、明治以降に民家として城下に移築されていたものを近年、城内に戻したもので、旧位置とは異なるものの、高崎城のシンボル的存在となっております。

また、高崎城は悲劇の貴公子・徳川忠長が最期を迎えたところとしても知られています。
忠長は、徳川二代将軍の秀忠とお江の間に生まれ、幼名を国松といいました。のちに三代将軍となる家光の弟に当たるのですけど、幼少の頃から忠長のほうに才覚があったみたいで、両親は家光(幼名・竹千代)より彼のほうを寵愛していました。


その後、家光は三代将軍に、忠長は駿府城(静岡県静岡市)にて大納言の位を賜り、駿河大納言と呼ばれるようになりました。しかし、幼少の頃からの恨みを抱いていたからでしょうか?秀忠の死後、家光は忠長のことを疎んじるようになり、「乱心を繰り返している」という理由から彼を甲府城、さらに高崎城へと追いやり、しまいには自刃するように通告したのです。

忠長はそれに従って短刀で喉を突き、28歳でその生涯を終えてしまいます。
それにしても、忠長の処分には不可解なところがたくさんあるように思えてなりません。


高崎城から東に400メートルほど行ったところに大信寺というお寺があります。


忠長がまつられています。それにしても、この廟所は兄家光の大猷院の霊廟と比べると、あまりにも質素で、不遇だった彼の生涯を象徴しているようです。

しかし、家光の弾圧行為はそれだけでは終わりませんでした。今度はそのとばっちりが肥後の熊本城主加藤忠広(私が尊敬している加藤清正公の嫡男)にまで及び、彼が忠長と仲が良かったというだけで、加藤氏はお家断絶という憂き目に遭わせられてしまいました。その手段はあまりにも残酷で、わずか三歳の彼の息子まで切腹させるという……… あ~~~、なんか書いているうちに怒れてきた。いえみつぅ~

すみません、私としたことがちょっと取り乱してしまいました。


そうそう、来年のNHK大河ドラマ「江~女たちの戦国」にも徳川忠長が出てくるハズです。果たして彼は、その作品の中ではどのように描かれるのでしょうか?


再び話は現在に戻ります。忠長公を偲んだあとに、私は群馬県の県庁所在地に向かうのですけど………
私の北関東一人旅は次回で終わりです。ちょっと長くなってしまいましたけど、ここまで来たら最後までお付き合いくださいませ~





ほんとに歴史がお好きなんですね!
私が出来るコメントはかなり俗っぽいので恐縮すが
次の大河が「篤姫」と同じ脚本家
でもあまりに「篤姫」がキャストも含め良かったのであれ以上は望めないかなぁ?
今回もなかなか楽しそうな旅ですね。
食いしん坊の私は、なかでも栃木のレモン牛乳と餃子に惹かれます
3歳の子にまで・・・想像すると辛いですね。
昔は簡単に切腹をしたと聞くけれど、改めて考えると本当に怖ろしい行為だなぁと思います・・・。
子供を持ってからますます命の大切さを考える事が増えたので、恥ずかしながら今になって色々『どうやって教えよう』と勉強する事が多いです
徳川秀忠公とお江の方の息子として誕生した家光と忠長の兄弟の悲劇はやはり悲しくせつないお話ですね。
もし乳母の春日の局ではなく、お江の方が家光も手元で育てることができたら、この悲劇はなかったと思います。
家光は両親に愛される忠長が羨ましかったのでしょうね。
そんな複雑な事情が長年積み重なり、忠長はその犠牲になったとしか思えません。でも家光が忠長や加藤家に対して行ったむごい仕打ちは許せません。3才の幼子には罪はありません。悲しくて泣けてきます。
戦国時代は織田信長と弟、伊達正宗と弟と同じような悲劇がいくつもあったことを思い出します。
白黒茶々さんのように詳しくはありませんが、歴史は大好きです。
白黒茶々さん、今回も堪能させて頂きました。続きも楽しみにしています。
来年の大河ドラマは楽しみにしてるんですが、お江の方は誰が演じるのでしょうね。気になります。いとこやれんちゃんと夏休みを楽しんでいます。
そういえば、「江~女たちの戦国」も、「篤姫」と同じ脚本家でしたね。
私としては、「篤姫」とはまた違った作風になりことを期待しています。
おかげさまで北関東への一人旅は充実したものになりました。それから、上野にも東照宮や寛永寺、それから戦前から伝わる洋風建築等があったので、その延長のように感じました。
今回はお泊りなので、餃子をつまみにビールをごきゅっと飲んでおけば………と、今さらながら思っています。
これからは私も、生き物を飼う以外のことで、息子に命の儚さと大切さを教えていきたいです。
今回も私の趣味の話に付き合ってくださり、ありがとうございます。
徳川忠長の悲劇はあまりに悲しいことですけど、かれんままさんの仰るとおり、家光も秀忠とお江の手によって平等に育てられていたら、彼の悲劇は起こらなかったと思います。
しかし、家光は忠長以外のところも攻撃したみたいで。彼に限らず、歴史上の人物の中には、けっこう酷いことをする輩がいますよね。
そうそう、来年の大河ドラマ「江~女たちの戦国」のキャストですけど………言っちゃっていいのでしょうか?
江=上野樹里さん、茶々=宮沢りえさん、初=
水川あさみさん、市=鈴木保奈美さん、秀忠=
向井理さん、となったみたいです。
さて、次回はついに旅の締めとなってしまいますけど、そちらのほうにもぜひお付き合いくださいませ~
思います。
親父さんのこしらえた東照宮も江戸城天守も
壊して新しくしたりしているし。幕府の権威
を示す為とは言ってもすでにあったものだし。
やはり両親憎しの刃が弟にも向けられたのかと。
そういえば、家光は日光の東照宮だけではなく、江戸城天守も建て替えましたね。その理由が両親憎しから来ているとしたら、説明が付きますね。
歴史に「もしも」はタブーですけど、秀忠が家康の意向に逆らって忠長のほうを将軍にしたら、どうなっていたでしょうか?