ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

頭のてっぺんが天から引っ張られているような感じで上体を維持する

2011-11-20 11:25:38 | 座禅

 今朝のテレビで放映されていた「からだの気持ち」に、姿勢のことが言われていました。 それによると、座禅の時の姿勢と同じように、頭のてっぺんが天から引っ張られるような感じで、上体を維持する姿勢が一番よいというのです。

 立った姿勢としては、壁にくっつくように直立して着いたときに、後頭部、背中、でん部が壁につき、背中の部分は手のひらが、入るぐらいの姿勢が、一番よいのだそうです。

 歩く時の姿勢も、立った時の姿勢も、座禅の時の姿勢も、同じようにするのが、一番よいということになります。

 肩の力を抜いてリラックスし、どんな時でも上記のような姿勢でいることが、一番よいのです。 そんな自然体でいつもいたいものです。

 決して姿勢をよくしようとして、胸を反らしては、筋力が働くのでよくはありません。

小山からスカイツリーや富士山が見えました

2011-11-17 09:50:15 | 健康

 住宅地内に10数メートルの小山から、昨日は高圧線が立つ間ににスカイツリーが見えました。 勿論、反対側には丹沢山系の山なみに上から、富士山も顔を出していました。

 いつも朝歩きをするコースにある、元からあったであろう小高い山を通るのですが、天気のよい日はスカイツリーも見えますよと、友人から言われていました。 小山は全て芝生で覆われていて、何となく雰囲気のあるところです。

 昨日は北風が強く、地表付近でよどんでいた空気を吹き飛ばしてくれたせいか、よく見えました。 小山に上がると、周辺にある低層のタウンハウスの住宅群の赤茶系の屋根が、美しく見えます。 

 今朝も見える雰囲気でしたが、歩くコースをショートカットしてしまったので、見ることはできませんでしたが、冬将軍の訪れと共に、これからは遠くまでよく見えることでしょう。

 朝歩きの途中で、デユーク(公爵)という名のコリー犬と会うのも、楽しみの一つです。 とても品のあるワンちゃんです。 連れて歩く小柄のご婦人も姿勢がよく、ワンちゃん同様に品を感じさせる方で、立ち話をするのが楽しみです。

 朝歩きの途中では、仕儀と仲間の友人が、大きく腕を振り上げて、歩いているのに出会います。 また、桜並木に囲まれている広場では、いつも70人ぐらいの方がラジオ体操を行なっています。

 歩く目線でものを見る感覚が、改めて新鮮に感じるこのごろです。

呼吸法を伴う座禅は脳と心と生命力を刺激する

2011-11-16 08:58:20 | 座禅

口を閉じ鼻だけで呼吸をし、吐く息だけをできるだけ長く吐き、吐く息を体の中へイメージで吐く呼吸を、私は逆腹式呼吸と云っています。 この呼吸法を継続的に続けることによって、私達は意識しなくても、自然と体の中を流れる気の存在を感じます。

 普段行なっている呼吸で、深呼吸するように大きく吸って、吐くだけです。 ただし吐くときには、できるだけ長く吐きます。 細く長く苦しくなる寸前まで、ゆっくり吐きます。 苦しくなる寸前で、軽く息を止めまた大きく息を吸います。 ひたすら長く吐く息に、意識を集中します。

 この長く吐く呼吸を続けることにより、半ば眠っていた気の通る道(経絡)を刺激し、体の中の気の流れを、良くするようになります。 経絡は神経の腺に沿って流れているといわれ、微細な神経が集中する脳を刺激します。 気を感じやすい人は、頭がもやもやしたり、おでこ周辺で何かを感じることがあります。

体の上半身には、主要な気の流れる道(経絡)があります。 逆腹式呼吸を続けることによって、両目の中心部にある上丹田を刺激します。上丹田には生命力に関係する生命体があるとされ、結果的に生命力を高めます。

 両乳房の中心の奥にある中丹田には、感情とか情緒に関係するものがあり、いわゆる心があると思われています。 その心を鍛えることになります。

 勿論、微細な神経がある脳も鍛えることになり、その開発率を高めていきます。

 納戸も繰り返す大きく吸い、ゆっくり吐く呼吸を通して、ゆっくりではあるが、横隔膜の運動をしていることにもなるのです。

 以上が昨日のブログの記事から、感じたことです。

身体を鍛錬し魂をも鍛錬すると更なる可能性が引き出せる

2011-11-15 10:05:24 | 座禅

 古代ギリシャのクセノフォンが曰く。 身体を鍛錬しない者が身体の諸機能をうまく使いこなせないように、魂を鍛錬しない者は魂の持つ様々な可能性を引き出せない。

 人間が行なう全てのことに身体は役立っている。 身体を使うことに全てにおいて、最高の身体能力を発揮できる状態にあることは、非常に重要である。 ものを考えるという最も身体を使うことが少ないと思われることでさえ、大きな錯誤は多く、健康を損なったことから生じたということは、広く知られていることである。

 髪や肉、骨、血、そして身体全体にわたって、人は常に若返ると同時に消滅しているのです。 しかもそれは、肉体だけでなく、魂についても同じなのです。 というのも、態度や習慣、意見、欲望、愉快、苦痛、恐怖など、どれをとっても永続するようなものはなく、生じては消えていく。

 善と美を学び、身体の鍛錬や家政に切り盛りを習得し、友人や国家のために尽くす。 最高のもうけものであり、最高の愉快ではないか。

 先日の新聞記事から、感じるものがありましたので、抜粋しました。

ひたすら出来るだけ長く吐く息だけに意識を集中する

2011-11-11 08:00:36 | 逆腹式呼吸

 胡坐を組んで行なう座禅の一番大切なことは、一つのことに集中して、雑念が起こる余地を少なくするということです。 その意味では、出来るだけ長く吐く息だけに意識を集中することは、比較的誰でもができる簡単な方法です。

 普段行なってきた肺呼吸で、大きく吸ってゆっくり吐く呼吸は、禅宗・臨済宗・黄檗宗の、先ず下腹から吐き出す呼吸法から比べれば、ごく自然に行える呼吸です。

 鼻から息を吐くことを一切忘れ、ただひたすら、吐く息だけを、できるだけ長く吐くことだけに、意識を集中するだけなのです。 長く吐こうとすれば、出来るだけ細く長く吐けばよいのです。

 全部吐ききる寸前まで、できるだけ長く吐きます。 全部吐ききると苦しくなりますので、その苦しくなる寸前まで吐くように、心がけます。 そのちょっと手前で、軽くすーっと息を止め、大きく息を吸います。

 この吸う、吐くの呼吸のコツは、自分自身で実際に呼吸を行なう中で、つかむことが大切です。 苦しくなる寸前まで息を吐くのですが、矛盾することに、あくまでスムーズな呼吸になるようにします。

 また決して、無理をしないことが大切なのです。 とにかく長く吐くことだけを行なおうとすると、ほかの事は考える余地は生まれません。 この長く吐く呼吸は、あっという間に時間が過ぎてしまうから、不思議な感覚になります。

 1時間はあっという間に過ぎてしまいます。 長く吐く息を楽しんでください。

私の最初の施主が脳梗塞を再発して天に還ってしまう

2011-11-10 15:04:30 | 健康

 私が独立して、初めて私の施主になってくれた方が、脳梗塞を再発して1ヶ月余の入院生活のうえで、天に還ってしまいました。 見ず知らずの私が、初めて事務所へお伺いし、二つ返事で計画の実行を同意してくれた方でした。

 その計画が実施された以降は、親戚や知人に対して、側面的にフォローをしてくれ、私の生活地盤を作ってくれたのです。

 独立した当時は、ゼロからのスタートでした。 8年間の事務所生活をしただけで、何の地盤・看板もなく独立しました。

 仕事の目途もないのに、あえて精神的な余裕を持つために、テニスを朝早くから3時間ぐらい、へとへとになるまで、コートで知り合った今は心の友と、プレイしておりました。

 小学校に通う通り道になっていたコート。 2人の子供はいつも、そんな私を見ながら学校に通っていました。

 6月ごろに初めて計画の提案を持ち込んで、そのスポーツ施設が複数ある施設を見に、夏休みを利用して家族で見学に行きました。 提案の結果を早く聞きたいのですが、ぐっと我慢して、あえてゆっくりと施主を訪問しました。

 結果的には、ふたつ返事で計画が遂行されました。 私の普段の姿を側面的に、それとなく聞いたところ、あの方は信用できますということに、なったそうです。

 私は、当時、設計事務所に勤めながら、地域にあって、まちづくりのお手伝いをしていたのです。 建物作りでまちをつくるのではなく、人と人の結びつきをつくる街づくりをするんだ、という気持ちが強かったように思い出されます。

 自分が自らそうしようと思ったわけではないのですが、周りがそうするように動いてしまい、結果的に私が、そのラインに乗ってしまうという感じでした。

 何かとお世話になった施主が、天に還ってしまい、改めていま、その当時を思い出すのでした。

再開発途上にある虎の門界隈で友人と飲酒する

2011-11-09 11:06:48 | 文化

 昨日は、以前に勤めていた事務所があった、虎の門近くで照明のランプの販売を行なっている友人の事務所に行き、最新のLEDランプを点灯させながら、説明を受けました。

 事務所があった第10森ビルは、既に入居者はおらず、周辺地域もこれからの再開発に向けて、準備を行なっている雰囲気がありました。

 友人は親会社の援助で会社を立ち上げ、以来経営の最前線で20年過ぎたというささやかなお祝いの旗が、事務所に飾っておりました。 友人とは改めて数えてみると、35年ぐらいの付き合いになっていました。

 電球型のLEDランプは、価格的に多少高くても、消費電力が1/10になりますので、1年ぐらいで元がとれるようですが、直管型の蛍光管のLEDは、消費電力も半分ぐらいしか下がらず、電球型のようには、価格と消費電力の関係が、うまくはいかないようでした。 蛍光管タイプのLEDランプは、まだまだこれからということでした。

 友人がいつも行く、大きな建物の路地にある飲食店は、魚の干し物のお任せ5種のつまみや、和風のつまみが気が利いて、美味しくなおかつ割安感のあるお店でした。 

 もう一軒寄ったお店は、年内、ジョッキの生ビールが120円で、4杯のわんこ蕎麦や海苔巻きの寿司が、同じように格安な感じがして、帰りがけのサラリーマンの方々で、満席でした。

 楽しい一日でしたが、駅を乗り過ごし、娘に迎えに来てもらいました。

チリのアルマ天文台に行って大地に仰向けで天空を見たという記事から

2011-11-08 07:47:13 | 自然

 昨日の新聞記事で石原慎太郎さんが、カメラマンがチリの標高5500メートルのアルマ天文台に行って、大地に仰向けで空一杯に無数の星がびっしりと見え、手を伸ばせば届くように見える。 そんな映像を見て、改めて自分もそこへ行って、見てみたいということを述べていました。

 私が小学校3年ぐらいの時の夏休みに、知人の親戚の勝沼のぶどう園に、行った時の事を思い出します。 深夜の12時過ぎに駅について、ぶどう園が両側に見える道を歩いていると、天空に空一面、星がまばゆいばかりに光り輝いていました。

 勿論、天の川もよく見え、今でもその印象は強く私の心を捉えています。 私達は先を急いでいましたので、道に仰向けで寝て、天空を仰ぎ見るなどという余裕はありませんでしたが、あれほどの美しい星空は、それ以来、見たことはありません。

 石原さんの記事の中で、龍源寺の松原哲明さんが亡くなられたということもありました。 龍源寺には、どんな座禅のやり方を行っているか知りたくて、一度参禅したことがあり、哲明さんの禅堂でお話を聞き、また私の胡坐を組んでいる前で、しばらくたたずんで、私の座禅の様子を伺っていた記憶があります。

 私の呼吸の息音を、じっと聴いていた様子でした。 本堂で大勢の参禅者の前で、参禅者の中にも相当の方がおられます、と話されたときには、ちょっと楽しかった感じがしました。

 石原さんの記事は、サンケイ新聞の一面の「日本よ」にありました。

静かにする静かになることが座禅では必要です

2011-11-07 07:32:00 | 座禅

 座禅は吐く呼吸に意識を集中し、表面的な静かだけではなく、体の微細な部分も含めて、静かになることが大切なのです。

 静かになるには、最低でも45分から1時間は必要だと、私自身の体験から考えています。 逆腹式呼吸を行いながら座禅を行っていますと、体の中を流れる気の動きも、はじめは堅く時間の経過と共に、その流れは緩やかになってきます。

 ゆったりと流れるようになるには、45分から1時間はかかるのです。 その流れが更に緩やかになるには、もっと時間の経過が必要になります。 したがって、最低でも、座禅時間は1時間あったほうがよいと思われるのです。

 体の中の気は、神経の腺に沿って流れているといわれ、微細な神経が集中する脳細胞にも、その刺激を受けることになります。 その流れが緩やかになればなるほどに、私達はセクシャルなエクスタシーをはるかに超える、崇高な至福感を感得することになります。

 日常的なストレスからも解放され、いつも精神的に健康でいられることになります。 更に、脳細胞を常に刺激を受けることにより、その開発率も上がり、なおかつ脳そのものも活性化されるのではないかと、思っています。

からきだ菖蒲館のホールでピアノ三重奏曲を聴く

2011-11-06 07:45:37 | 文化

 昨日は、館長が友人の地域のコミセンであるからきだ菖蒲館のホールで、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品49 ほか小曲 G線上のアリアや地方の子守唄である・守さ子守さなどの曲を、楽しみました。

 ヴァイオリン・山本友重さん、チェロ・柳瀬順平さん、ピアノ・田中麻紀さんの演奏でした。

 私は子供の頃に、親の勧めでヴァイオリンを姉と一緒に習い、小学校卒業時まで音楽クラブで演奏していたのですが、それ以降は楽器を手にしたことはありません。

 10数年前のテレビで、千住真理子さんの「カンツォーネを歌うように」というタイトルで、ヴァイオリンの心に響く音を聴いてから、積極的に演奏会に参加するようになりました。

 からきだホールは、残念ながら折角の演奏にもかかわらず、ちょっとイマイチの響きを与えていました。 音楽ホール用に計画されていないためでしょうか。 残念でした。

 演奏終了後に、演奏者の方達との一問一答があり、改め音楽を身近に感じた気がいたします。 演奏者の3人は普段でも仲がよく、今回の演奏会に備えて2回ほど練習を行い、お互いの表現の仕方を理解しながら、演奏を行なったということでした。

 また、私はヴァイオリンの音を聴くと、胸がキューンとなりますが演奏者の方は、どうなんでしょうかとの問いに、私も胸をキュンキュンしながら、演奏していますということでした。 楽しいひと時でした。