私達は呼吸を生来、意識することはありませんでした。 長く吐く呼吸を意識することを継続することにより、長く吐く呼吸が自然の呼吸に変化します。 日常的に長く吐く呼吸を行うことによって、それは可能になります。
家族と一緒のときに、いつも息を体の中へ吐く息音が聴こえるといっては、注意が飛んできます。 自分自身でも歩いている時や、ちょっとした時間の時に、吐く息を体の中へ吐いている息音が聴こえます。
息を吐くときには、出来るだけゆっくりと長く吐きます。 全部吐ききるつもりで吐きますが、全部吐ききると苦しくなりますので、そのちょっと手前で軽く息を止め、大きく息を吸います。 長く吐く息だけに意識を集中します。 長く吐こうと思えば雑念が沸くことはありません。
私が初めて参加した座禅会(静功の会)では、私の息音だけが静寂さの中で聴こえたらしく、3回目の会が終了した帰りがけに、級友が「もう少し静かにしろよ」と注意を受け、4回目からはできるだけ息音が聴こえないように、息を吐くようにしました。
息音が殆んど聴こえないぐらいに吐くことを続けているうちに、ものの本で「胎息」という言葉に出会いました。 その本には、胎息がどのような息の仕方かの記述はありませんでした。
あるとき、吐く息を出来るだけ聴こえないようにした結果、呼吸を行っているかどうか分からない感覚になりました。 もしかしたら息を止めることができるかもしれないと思い、思い切って息を止めてみました。
下腹にある臍下丹田が既に活性化し、いつも丹田が心臓のように鼓動を行なっていましたので、かなり長く息を止めることはできたのです。 息を吸おうとしたときに、ちょっと苦しい感覚がありました。 後で、この感覚がお母さんのお腹から生まれ出た時に発する「オギャー」という泣き声をするときに感じる苦しさかなとも思ったのです。
現在では、映画を見るときや音楽を聴くときや、事務所で椅子に坐って静かに考え事を行なっているときや座禅の時に、胎息という気の呼吸で過ごすことが多いのが現実です。