ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

いつも肩の力を抜いて自然体で

2008-06-17 07:41:22 | 座禅
 10年ほど前に、大学の級友からの声かけで始めた座禅。 今まで座禅(静功)には、あまり関心はなかったのですが、当時心臓付近に、なんとなく違和感を感じていて、知り合いの看護婦さんから、足の付け根からカテーテルを挿入して、心臓を調べる必要を聞いたりしていました。

 座禅を始めた初日(真っ暗な中で1時間の座禅)に、頭のてっぺんにある百会を中心にして、頭の廻りが電子の輪のようなものを、感じてしまいました。 今、思い出しても何故、当初から吐く息を体の中へ吐く、逆腹式呼吸を行っていたのか、思い出すことは出来ません。 指導している方から、話を聞いたわけではありません。

 1週間に1度の座禅会に参加して、真っ暗闇の中で、私の体の中へ吐く息だけが聞こえたらしく、3回目が終わった後で、友人が、もう少し静かにして座禅をやりなさい、と注意したほどでした。

 お臍のちょっと下にある臍下丹田が、心臓のように鼓動を始めたのは、1ヶ月半ぐらいでした。 当時、前の事務所の前の席にいた後輩の女性(我が家からヒマラヤンの雌の子猫が貰われていったので、ある意味では親戚関係ではある)が、ガンに冒され、仕事をしながらの闘病生活をしているのを聞き、お見舞いに行くと共に、遠くから毎日深夜、3時間の座禅の中で、彼女の無事を念じたものでした。

 座禅をするようになってから、何が変わったかといいますと、いつも、どんな時でも、肩の力を抜いているように、心がけるようになりました。 夢中で人と話しているときでも、ふと気がつくと肩に力が入っていたりします。 そんなときは、肩を振って力を抜くようにしました。 

 また、何事も構えずに、自然体で望むようになりました。 どんなにあがいてみても、物事はなるようにしかなりません。 原因があって、結果がある。 そんなことも、自然に受け入れられるようになりました。 

 どんな環境下にあっても、いつもそれを楽しむ気持ちが、とても大切ではないかということも、感じます。 良い時もあれば、悪いときもあります。 その時々の環境を、甘んじて楽しむ、いつもそんな気持ちで、いられるようになれたことには、感謝の気持ちでいっぱいです。 自分が思うように、体の中の気は動きます。 いつも明るく、前向きに、建設的にものを考える癖も、自然とついていってしまったようにも思います。

足の裏から宇宙の気を吸う

2008-06-16 06:29:39 | 逆腹式呼吸
 夜、窓を少し開けて寝ても、寒くはなくなりましたので、寝るときは大の字になり、手を軽く握って布団からはみ出た足の裏から、宇宙の気を吸うようにして、いつも寝ています。

 お臍のちょおと下にある臍下丹田が、心臓のように鼓動するまでは、両手の親指をお臍の上にそっと置いて、逆腹式呼吸を行いながら、吐く息を臍下丹田に吐いたり、足の裏から息を吐くようにしたりしていましたが、臍下丹田が活性化してからは、西野式の足芯呼吸を考慮するようにしています。

 足の裏には湧泉という気のツボがありますが、足の裏全体で気を吸うように意識します。 いつも感じることですが、糖尿病に罹り重度になってきますと、血管がぼろぼろになり、血行障害を起こし、心臓から一番遠くにある足の指先から、壊疽を起こし黒ずんで切断しなければならなくなります。 そんな人のためには、足の裏からの呼吸法が、一番良いのになあと思うのです。

 手を握るのは、労宮という気のツボが、手のひらの中心にありますが、手を開いていると、体の中の気が放出されるからです。 大仏さまやお釈迦様が、手のひらを開いた姿を、見ることがありますが、お釈迦様などが私たちに何かを与えてくれているものと、解釈しております。 私たち凡人には、自分たちのことで精一杯で、なかなかそこまでは出来ないことです。

 熱い夏の夜に、たまには足の裏から、宇宙の清新な気を吸うようなイメージをしながら、寝てみることもいいのではありませんか。

赤ちゃんのように大の字になって寝るようになる

2008-06-14 17:26:10 | 逆腹式呼吸
 赤ちゃんは、手を握って両手を広げ足も広げて、大の字のようになって寝ます。 何故そのように寝るかは、息を体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中しながら、坐禅を1時間続けていけば、遠くないうちに、その意味が分かっています。

 手が体の一部について寝ますと、その部分が熱くなってしまい、安らかに眠ることができなくなります。 何故か、それは体の中を流れる気が、通常の体の中の経絡(気の通る道)から外れ、触れた箇所にショートサーキットしてしまうためです。 手も足も離して、上を向いて寝ないと安らかに眠れないのです。

 横を向いて寝ますと、同じような理由で、体の触った箇所が熱くなってきます。 また横になって寝ますと、体の中の内臓が落ち着いた状態にはなく、心おきなく休むことが出来ません。 上に向いた状態で寝るのが、内臓には一番良い状態になります。

 ちょっとだけ横になるのは良いのですが、ずーっと横になって寝るのは、体が休まらなくなります。 いつも低い枕を敷いて、上を向いて寝るのが一番です。

 私自身は掛け布団の上に、ちょっと手を置いただけで、布団を通して体にショートサーキットしてしまい、体が熱くなってしまいます。 

 お臍のちょっと下にある臍下丹田が、活性化し鼓動を始めるようになれば、自然と体の中を流れる気を、感じるようになってきます。 その時のために、逆腹式呼吸を、坐禅を楽しんでください。

0(ゼロ)から無限を想像する

2008-06-13 06:55:14 | 座禅
 逆腹式呼吸を行いながらの座禅に、意識を体の中へ吐く息だけに、集中出来るようになると、今度は意識をイメージの世界に、持って行きます。

 広大な宇宙に自分一人が、ぽつんとそこにいるというイメージをします。 無限の大きさの中に、極小な自分が一人いるということは、殆ど無に近い存在になるイメージに繋がってきます。 

 宇宙飛行士が、宇宙ステーションから見る地球は、想像を絶して美しく、神秘的宗教的な感覚になるという話を、聞いたことがありますが、送られてくる地球の映像を、イメージします。 

 青い海に茶色い大地、地球を覆う白い雲が見える地球が、大きく見えます。 大きく見えた地球から少しずつ、離れていき大きな球に見えるようになります。 更に離れていきますと、バスケットボールぐらいの大きさに見えます。 更に離れていきますと、ソフトボールの大きさに、更に離れていきますと、ピンポン球の大きさに、更に離れていきますと、点の大きさにしか見えません。 更に離れていきますと、もう何も見えなくなり、気がついてみると広大な宇宙に、自分一人がポツンとそこにいます。

 逆腹式呼吸を行いながら、そこまでイメージしていきますと、耳がキーンとしてきて、小さい頃に海やプールで潜水したときに感じる、耳がキーンとする感覚に、似ています。

 無限に広がる宇宙の中に、相対的に見て自分が一人そこにいる感覚は、殆どゼロに近くなってきます。 それが無心、無のイメージに繋がって来ます。

 そんな坐禅の時間を過ごしてきますと、この世に0(ゼロ)の考え方が出てきた感覚や、実はゼロ(0)は、考えてみると無限を想像することに、繋がってくるのではないかと、考えるようになりました。

 ふと本屋で見かけた桜井進著「数学で宇宙を制覇」を読んでいる内に、思わず座禅の雑念の中で感じた感覚を、思い出してしまいました。

座禅は視床下部にある生命体を高めるのでは

2008-06-11 06:43:50 | 座禅
 目の中心の奥にある視床下部には上丹田があり、そこに私たちがこの世に生を受けたときに、授けられたという生命体が、存在するといわれています。 最近になって、座禅の時の雑念の中で、座禅を通してその生命体を刺激し、高めているのではないかと、思うようになってきました。

 吐く息を体の中へ吐く逆腹式呼吸を繰り返すことによって、私たちが生来持っていた機能、能力を、回復していきます。 息を体の中へイメージして吐くことにより、次第に気の通り道(経絡)を刺激し、気の通りを良くしていきます。

 気の通り道は、神経の線に沿って流れているといわれ、気の通りが良くなるにつれ、神経を刺激し、神経が集中する脳をも刺激します。 1時間以上の座禅を行う過程で、気の流れも滑らかになり、脳を優しく刺激し、脳を癒してくれ、いわゆる至福感を私たちに、与えてくれるようになります。

 男の場合は、後頭部から駆け上がってきた体の中の気は、脳内を流れた後、そのまま、その流れの中で視床下部に流れ込んでいきます。 視床下部にあるとされる上丹田を、いつも刺激し、上丹田に存在するとされる私たちの生命体をも、刺激しているように、感じるようになりました。

 生を受けた体に生命体が宿るとされており、その生命体はこの世とあの世を、繰り返し経験する中で、もうこれ以上高まる必要がなくなったときに、あの世ー天の残ると書いてある本を、読んだことがあります。 お釈迦さまの生命体は、充分高まったので、天に残ったのだとの記述がありました。 

 凡人の私たちの生命体は、自分がこの世に存在しなくなると、すーっと天に還り、また新しい生命が誕生するときに、生命体として宿るということだそうです。 私たちは、その生命体をこの世で、世のため人のために尽くすことによって、高めることが大切であるとも、書いてありました。

 座禅を行うことによって、気が脳を刺激することによって、不思議なことに自然と、精神的に高
められていきます。 脳だけでなく視床下部をも、いつも刺激しますので、ふと座禅の雑念の中で、生命体をも高めていくのではないかと、感じたりもしました。

やはり異常に高いと感じた座枕

2008-06-10 05:05:47 | 座禅
 座禅の時にお尻の下に敷く座枕を、先日、2回目の普門庵での日曜の座禅会に参加して、改めて高すぎて不自然に感じざるを得ませんでした。 私が我が家で行う時には、布団の上でぺちゃんこの敷物を敷いて、普通の胡座を組んで、座禅を行います。

 まだ3時間の座禅時間しか経験したことがありませんが、慣れてくれば足も痺れなくなりますし、足も痛くはなりません。 先日の高い座枕では、お尻が痛くなって仕方がありませんでした。 

 私の親しくしている友人は、胡座を組むのが苦手で、いつもお尻に敷くものを、高くして座禅をしています。 またもう一人の知人も同様で、高くしないと胡座が組めません。 

 私自身は低い敷物のほうが、お尻全体で上体を支えますので安定し、とても楽な感じがします。 何時間でも胡座を組んだ座禅を、行うことができると考えています。 先日、和尚さんが話されるには、お尻と両膝の3点で上体を支えるということでしたが、それだとどうも長時間、上体を維持するのは結構しんどい感じがします。

 和尚さんは、高い座枕の下に、さらに布団を2重にして、胡座を組んでいましたが、どうなんでしょうか。

 一番大切なことは、肩の力を抜いてリラックスし、上体を天から引っ張られているような感じで、長時間維持できるかだと、思うんですが。 作法には色々歴史的な背景や、意味があるとは思いますが、どうも高い座枕だけは、私には受け入れがたいものがあります。

アキバの殺人犯の今後

2008-06-09 08:19:43 | 時事
 誰でもよかったといって、わざわざ朝、静岡のレンタカー会社から、トラックを借りてまでして、秋葉原の歩行者天国で、猛スピードで突っ込み3人をはねた後、サバイバルナイフで不適な笑みをしながら、次々と刺し7人が死んで10人が重軽傷を負いました。

 この殺人犯は、犯行当時には心神喪失ということで、裁判の時には罪を問わないという弁護活動が、されるんでしょうか。 いつも感じることですが、誰でも犯罪を起こすときには、理性を忘れ精神的におかしくならなければ、誰も犯罪を犯すことはありません。 心神喪失であるかどうかが、いつも裁判で争われていますが、犯罪者の人格だけが尊重され、殺された人の人権や人格が、尊重されることはありません。

 アキバの殺人犯は、どのような環境、親に育てられたのでしょうか。 我慢をすることができず、我慢するすることを、学んでこなかった環境、経験が、いつも問われることになります。 子供のときに、友達と遊び、なかなか自分の思うように行かないことを、遊びの中で自然と覚えていきます。

 一人遊びのテレビゲームを通して、自分の思うようにできなければ、すぐに電源を切ってゲームをやめればすむ、そんなことしか覚えられなかったとしか、考えられません。 また、両親の愛情がどれほどまでに、注がれてきたんでしょうか。 多分、生命の誕生が生まれる瞬間にも、自分勝手な自分たちの欲望のはけ口だけしか、与えられなかった生命であったようにも、感じられます。

 親の我慢強い気持ちを持った愛し方が、その生命、子供にも注がれれば、決して切れやすい子供には、育つはずがありません。 日常的な不満、自分の思うようにできない人生に対して、自分だけこの世からいなくなればよいものを、わざわざ人通りの多い、日曜日の秋葉原の歩行者天国まで来て、犯行を犯すとは、なんともやるせなく、また、今後の裁判での弁護活動に、思いを寄せてしまいました。

上野寛永寺で篤姫のお墓を見てきました

2008-06-08 13:55:33 | 社会・経済
 伝七捕り物帳で知られる黒門町の、黒門小学校の5年に一度のクラス会が、昨日開かれました。 今年はクラスの一人が、上野のれん会役員をやっていることもあり、上野寛永寺の徳川慶喜が数年間、幽閉された部屋を見せてもらったり、明治維新前後の官軍と幕府軍、特に会津藩と長州との因縁話や、西郷さんの人柄のエピソードなどの話を、聞くことができました。

 また徳川5代将軍からのお墓や、いまテレビ放映されている篤姫のお墓が、13代将軍家定のお墓の隣に、並んでる姿などを見ることができました。 小学校6年間を過ごしてきて、今まで近すぎてあまり関心を持っていなかった上野寛永寺でしたが、改めて当時の時代背景などを、知ることとなりました。

 場所を変えて、上野公園内にあるクラスの一人の関係する、うなぎの伊豆栄梅川亭で、会食をしました。 すると東京芸大が近くにあることからか、大学院に在籍されている方の、ハープの独奏を聴くこととなりました。

 3年のときの先生、4年以降の担任の先生2人を含め、クラスの半数近くの総勢25人強の集いに、美人のハープ演奏者との会話もあり、楽しいひと時を過ごすことが、できました。

 2人の先生も84歳ながらすこぶるお元気ですが、次なる会合を5年後とは厳しいものがありますので、2,3年後に開くことを約束して、解散しました。 上野不忍の池のはすの葉も、池一面に広がっておりました。 

体の中を風が吹く

2008-06-06 06:42:06 | 座禅
 体の中へ吐く息だけに意識を集中する逆腹式呼吸を、行いながら胡座を組んだ座禅を、最低でも1時間毎日のように続けていきますと、私たちの体に様々な変化を与えてくれます。

 静かに眠っていた経絡(気の通り道)を刺激し、その通りを良くしていくからです。 ある時、体の中を風が吹いているような感覚に、なったことがあります。 あれ、風が吹いているのかなの思い、外を見れば樹木はなびいてはいませんでした。 ヒューとした感覚で、しばらく風が体の中で吹いていたのです。

 何度かそんなことがあり、チベット密教の本を読んだときだと記憶してますが、風(ルン)という言葉が出ていました。 余りその意味については吟味したわけではありませんが、ルンという言葉だけは、深く心に刻まれました。

 逆腹式呼吸を行いながらの座禅を続けていきますと、体に微妙な変化を感じさせてくれますが、その変化を楽しむ気持ちが、とても大切です。 生来持っていた機能、能力が、回復したに過ぎません。 自然の動きに任せ、変化があっても当たり前のように、素直に受け止めることも大切です。

 いずれ、気力が充実してきますと、自発動という気が勝手に自由に動き始めることを経験することになります。 その時には、決して驚くことなく、その動きを楽しみ、収まるのを静かに待つ気持ちが、大切です。 自分がやましい気持ちを持たなければ、その変化を恐れることは、なにもありません。

 あらゆる体の変化を、楽しんでください。 自然の摂理に従う気持ちが、とても大切です。

体の中へ吐いた息(気)が背中から出て行くのを感じる

2008-06-05 06:34:28 | 逆腹式呼吸
 目をつむり鼻だけで息をし、ゆっくり体の中へ吐いていく息は、逆腹式呼吸に習熟するにつれ、背中全体の経穴から出て行くのを、感じることになります。 

 息を吐きながらイメージすることによって、イメージしながら息を吐くことによって、私たちは知らず知らずのうちに、宇宙に無尽蔵にある気を、動かしていることを体感していきます。 ゆっくり体の中へ息を吐いていきますが、その時、実際には宇宙の気が、体の中へ入っていきます。

 入っていった気は、体の中へは貯まらず、全て体外へ鍼とか灸のツボ(経穴)を通して、出て行きます。 ところが体の一部に不具合があると、その部位に関係する経穴は、うまく作動せず、すこしずつ息(気)が貯まっていきます。 私自身は、息を体の中へ吐いていく内に、もうこれ以上入っていかないという経験をしたことがあります。

 何度かそのような体験の後、ある時、その経穴が開いたのでしょうが、プーンと一種焼けこげたような臭いを、発したことがあります。 後で感じたのですが、体内に貯まっていた悪い気が、出てきたせいなのでした。 

 逆腹式呼吸は、息を体の中へ吐くことによって、気が体の中へ入っていき、経穴から体外へ排出される過程で、その経穴の気の通りの調節の弁を、調整していることに気がつきます。 その結果、自己免疫力がつくことに、繋がってきます。