ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

1時間の座禅を静かに考える時間と思えば

2012-01-29 08:43:16 | 座禅

 坐禅の時には無心・無欲の境地を追求すると、よく聞きますが、それはそれとして、長く吐く息に意識を集中しながら、ひたすら「静か」になります。 しかしながら、意識を吐く息に集中しながらも、ふと日常的な問題解決しなければならないようなことが、頭に浮かんでくるものです。

 そのような時には、禅宗の和尚さんだったら、その雑念を振り払いなさいと言うでしょうが、私はふと浮かぶ雑念は、これまでその都度考えて来ました。 静かな状態であるからこそよいのでしょうか、宇宙の叡智のサジェスチョンが、このように考えたらいいんじゃありませんか、とヒントのようなものを与えてくれるのです。

 ひたすら胡座を組んで、長く吐く呼吸に意識を集中しているからこそ、考え出されてくるのではないかと思われます。

 生まれて10数年経ちますが、その思考の積み重ねで、その人の考え方や価値観が形成されてくるのではないかと思います。

 この世の中は、忙しさの中で、ゆっくりとものを考える時間が持てないのが現実です。 真っ暗闇の中で、深夜に静かに胡座を組んで、長く吐く呼吸だけに意識を集中しながら、座禅を行う時間を、考える時間だと思えば、気楽に座っていられるのではないかと思うのですが。


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2 コメント

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真っ暗! (カズエ)
2012-01-29 09:19:16
吐く息の練習は真っ暗な闇の中でならなければならないのですか?光があるといけないのですか?目を瞑れば暗くなると思うのですが…
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明かりがあってもいいですが (龍之介)
2012-01-29 10:12:17
 明かりがあってもいいですが、どちらでも構いません。 私は座禅を始めた当初から、真っ暗闇の中で、行なってきただけです。

 暗闇の中でしたので、目を半眼にしなさいという禅宗の作法にも、気にすることもなく、座禅を行なってきました。

 目を瞑るという行為も、目を開けるという行為も、究極的に筋力がかかっています。

 そこのことを踏まえた上で、全ての力が抜けた段階では、目は半眼になるという意識をもたれれば、目を瞑って(ごく軽く閉じるという意味です)も、よいかもしれませんね。
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