私はキリスト教の信者ではありませんので、どのような形でお祈りをされるかは分かりませんが、お祈りされる過程で無心の状態になるのが、理想の姿ではないかと思われます。
聖書の内容を読んで理解する姿は、日本の仏教の中にもありますが、南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀とかを、ひたすら唱えながら座り続けるのは、お経を唱えながら一種の無心状態になることを、想定しているのではないかと思われます。
また長く吐く呼吸に意識を集中しながら行う座禅も、意識を一点に呼吸に集中することによって、無心状態を作り出しております。
キリスト教でも長く吐く呼吸を行いながら、お祈りすることは、決して間違った方法ではなく、むしろ積極的行なっても良い、お祈りの仕方ではないかと思われます。
深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけゆっくりと長く息を吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐きながら、お祈りをされたら、きっと何か自分でも分からない変化が訪れるのではないかと、思いますが。